群馬県東部に位置し、栃木県にも隣接する桐生市。上毛かるたでは「桐生は日本の機どころ」と詠まれるなど、古くからから絹織物の産地として知られる。奈良時代のはじめには絹織物を朝廷に献上、江戸時代には「西の西陣、東の桐生」と呼ばれるなど、織物の一大産地として栄えた。絹織物は、特に明治初期、政府の富国強兵の礎となり、桐生の旦那衆は、東京や横浜を通じて海外の文化にも接し、それを地元に持ち帰った。そうした影響が食文化にも映されている。

そんな桐生の食文化を象徴する食材のひとつが小麦だ。埼玉県北から群馬県にかけては、米の裏作として小麦の栽培が盛んだったため、小麦を使った料理がよく食べられている。以前紹介したひもかわがその象徴とも言える存在だ。地元産の小麦をたっぷりと使った幅広麺が特徴だ。

群馬県は銘柄豚が30種以上あり、豚肉を好んで食べる地域としても知られる。そんな豚肉料理の代表格がとんかつだ。桐生では、織物の商いで忙しい中、冷めてもおいしいソースかつ丼を出前でとって食べることが多かった。そのため、市内の多くの飲食店でソースかつ丼が提供さており、かつ丼と言えば卵とじよりもソースかつ丼が一般的だ。

長野県の伊那市や駒ヶ根市もソースかつ丼で有名だが、絹織物の輸出を通じて、横浜港とつながり、そこからソースにいち早く触れたことがその背景にあるとの説もある。いずれにせよ、洋食の味を代表すると言ってもいいソースが、卵とじかつ丼より広く食べられている点は、桐生が早くから西洋の味に触れる機会に恵まれていただろうことが推察できる。

桐生のソースかつ丼の元祖と言われているのが「志多美屋本店」、創業80年余を誇る老舗だ。同店が中心となり、桐生市の飲食店組合と麺類商組合の有志で「桐生ソースかつ丼会」を結成、桐生ソースかつ丼を「豚ヒレ肉を使い、揚げたてのカツをソースにくぐらせ、丼に盛ったご飯にのせる」と定義づけた。ソースや豚肉の銘柄は店ごとに異なり、食べ歩きも楽しめる。

早速「志多美屋本店」を訪れ、自慢のソースかつ丼に舌鼓を打った。老舗だが、町の中心街ではなく、やや離れた住宅街に店を構える。11月の終わり、土曜日の昼時に訪ねたのだが、意外にすんなりと入店できた。かつの基本はヒレ肉。かつ4個バージョンと6個バージョンがある。また、ロース肉を使ったソースかつ丼もメニューに載る。

とにかくシンプルこの上ないソースかつ丼だ。キャベツも別皿で提供される。丼には、ご飯の上にソースをまとったひれかつのみがのる。たれは、少し甘みがあり、しょうゆの風味も感じさせる。桐生にはうなぎ屋が多く、かつ丼のソースにもその影響があるという。駒ヶ根や福井でも、ソースかつ丼と言いながらしょうゆも加えられており、それが、白いご飯に合う独特の味わいを創り出しているのだろう。

ひもかわとソースかつ丼で小麦とソースというキーワードが登場したが、その2つを併せ持った桐生ならではの食もある。牛天だ。文字面からは牛肉や天ぷらを想像させるが、いずれも全く関係なく、カギを握るのは小麦とソースだ。つまりは、コナモン。非常に薄いお好み焼きと言えば分かりやすいだろうか。

料理名の由来は「ぎゅうぎゅうと押しつけながら焼く」から。材料は水で溶いた小麦粉とネギ、そしてたっぷりの桜えび。これを鉄板に押しつけるようにして焼き、薄く押し固めて、韓国料理のチヂミのように仕上げる。味付けは、お好み焼き同様、青のりを散らし、ソースをかける。

使う食材も少なく、また手軽に作れることから、絹織物を生業とする人々の間で、小腹を満たすおやつとして親しまれてきた。絹織物で栄えたとはいえ、生産規模が工場レベルになるのは、まさに富岡製糸場以降のことだ。当時、家庭を守る役割も担っていた女性たちも働きに出ていたため、忙しい中でもさっと作れる牛天が子どものおやつや食事の副菜として食べられていたという。

桐生でも一時廃れてしまったそうだが、市内の大正時代に作られた古民家を地域の再生事業として活用する「四辻の齋嘉(さいか)」内にある「喫茶齋嘉」で復活させた。内蔵もある立派な店内は、かつての桐生の繁栄ぶりをうかがわせるもので、中を見て回るだけでも貴重な体験だ。牛天はとてもシンプル。ぎゅうぎゅうと押しつけられたことが分かる、しっかりした歯ごたえだ。具はねぎの他は桜えびだけだったが、牛天の端に至るまでびっしりと桜えびが入っていた。一見、軽そうだが、けっこう食べ応えもある。

薄く押し焼きにされたその見た目、食感は、足袋のまち・埼玉県行田市のご当地グルメ、フライを思い起こさせる。小麦生産が盛んな内陸地、家内制手工業的な製造を担うという土地柄も共通しており、同じような背景から誕生した食文化であろうと推察できる。

ここで、小麦→ソース→鉄板焼きという流れになった。そこで浮上するのが、子供洋食だ。昭和の初めごろから桐生で食べられているという、文字通り子供のおやつだ。ふかしたジャガイモにサクラエビと刻んだ長ネギを加え、ソースで炒めたもの。仕上げに青のりをたっぷり振りかけて、紅ショウガを添える。牛天の小麦がジャガイモに「タッチ交代」したというイメージだろうか。

栃木と群馬を結ぶ両毛線沿線はジャガイモ地帯だ。栃木県内ではふかしたジャガイモに衣を付けて揚げソースに浸したいもフライや、ソース焼きそばにふかしたジャガイモが入ってくる。桐生に隣接する太田はご当地焼きそばで知られるが、太田焼きそばにもジャガイモを入れることがある。子供洋食は両毛線沿線で一般的な「ポテト入り焼きそば」から麺を抜いた料理と言うと分かりやすいだろう。実に桐生の地域性を反映した食文化だ。

固めにふかしたジャガイモをサイコロ状に切り、乾燥桜えびを加えて油で炒め、ソースで味付け、仕上げにネギとかつおぶしを散らせばできあがり。実にシンプルな料理だ。料理名に「子供」とあるが、これほど酒のつまみに最適な味はないと思えるほど、絶妙の酒の「あて」だ。ビールやチューハイをあおる左手が止まらない。

繊維産業の日本経済に占める重要性が古ほどではない現代にあって、やや存在感が薄くなってしまった桐生だが、食文化を含めた豊かな文化性はあなどれない。特に絹織物の輸出港であった横浜との強い結びつきを反映した「ソース味文化」は非常に興味深い。首都圏からもほど近い。ぜひ、その個性的な食文化を味わいに桐生を訪れてほしい。