米作に適さない火山灰地の食 武蔵野うどんとは①

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埼玉県は香川県に次ぐうどんの消費量を誇り「東のうどん県」とも呼ばれる。しかし、うどんをよく食べる地域は、西東京から埼玉を経て、群馬に至るまで広大で、地域差も結構ある。また、東京都小平市や武蔵村山市、県境を越えた埼玉県所沢市などでは「武蔵野うどん」という呼称もよく耳にする。

小平ふるさと村

そもそも武蔵野と呼ばれる地域が広大で、そのため、「武蔵野うどん」を地元の味としてメニューに掲げる店は、荒川西岸の埼玉県川島町や多摩川東岸の東京都府中市などけっこう広域で見受けられる。しかし一方で、群馬県や埼玉県の東部、加須や館林といった地域では、うどんを盛んに食べるにもかかわらず、武蔵野うどんという呼称は少なくなる。一大「うどん地帯」にもかかわらず、その関係性がどうにもわかりにくいのだ。

小平糧うどん

そもそも武蔵野とは、どのあたりを指すのだろうか。調べてみると、荒川から多摩川まで、北端は川越、西端は青梅、東端は上野、南端は池上とされ、埼玉県から東京都多摩地区にまで広がる広大な範囲を指している。台地が多く、武蔵野台とも呼ばれる。川が少なく、火山灰地の関東ローム層の地質で、水の乏しい地域が多く、水はけが良いこともあり、米作に適さなかった。米作に適さない地域には、麦や芋、そばなどを主食とする食文化が成り立ちがちだ。

「かて」はかさ増しの意味もある

ややこしいのが、荒川を越えた先、米作りの盛んな行田や加須といった地域でも、米の裏作として盛んに麦を栽培、それが加須うどんや行田のフライなどの麦食文化につながっていることだ。これはさらに高崎のパスタなど群馬県にまで広がり、西東京から埼玉県北、群馬県にかけて広大な麦食地域が広がっている。本来、米の代用として誕生した麦食文化と米の裏作から誕生した麦食文化がつながってしまっているようだ。

冷水で締めたうどんを温かいつけ汁でかてとともに食べる

文化庁では、その地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を、100年続く食文化・100年フードと名付け、継承していく取り組みを進めている。実はその中には、埼玉県所沢市を中心とする「武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)」、東京都小平市を中心とする「武蔵野地域のうどん文化(小平糧うどん)」、そして東京都武蔵村山市を中心とする「武蔵野地域のうどん文化(村山かてうどん)」という3種の「武蔵野地域のうどん」が選出されている。

米に代わる主食として麦を食べた

関東の100年フードには、他に群馬県の焼きまんじゅう、桐生うどん、埼玉県深谷市の煮ぼうとう、行田市のフライ・ゼリーフライといった麦を主体とする食文化も選ばれている。連なった地域の、同じ麦食文化にもかかわらず、それぞれ別の扱いになっているのだ。こうした事象を積み上げて考えると、武蔵野地域を越えた、荒川の先の米の裏作としての麦食文化は、武蔵野うどんとは別ものと解釈すべきではないだろうか。とすれば、「武蔵野うどん」とは、米に代わる主食として麦を食べた地域のうどんであろうと考えた。

切れ端の存在は手打ちの「証」でもある

武蔵村山市は、東京都で唯一鉄道駅がない市町村だが、市境に沿って立川市を西武拝島線が走っている。小平、所沢も西武線沿線だ。西武線沿線は、今でこそベッドタウンとして知られているが、戦後までは、都心の食を支える農村だった。当然、「武蔵野うどん」も農作業とは切っても切れない縁の中で誕生し、育まれてきた食文化のはずだ。

武蔵野手打ちうどん保存普及会の水屋(調理場)

依然、正体がはっきりしない「武蔵野うどん」だが、今回、その謎を解くべく、文化庁が「武蔵野地域のうどん」と指定した3地域を歩いてみた。まずは、東京都小平市だ。公益財団法人小平市文化振興財団が管理・運営する小平ふるさと村を訪ねた。ここで、地元の有志による武蔵野手打ちうどん保存普及会による糧うどんの提供が行われている。

手打ちの非常にコシの強いうどん

ちなみに「武蔵野うどん」の呼称は、小平発祥と言われている。小平に生まれ、小平の手打ちうどんを愛し、その普及に努めた、國學院大學名誉教授だった故・加藤有次先生が、地元で長年食べ続けられたうどんを、1980年代に「武蔵野手打ちうどん」と名付けた。讃岐などとの違いをはっきりさせるためだという。これが、小平をはじめ荒川と多摩川に挟まれた広大な地域で育まれたうどんを「武蔵野うどん」と呼ぶようになったきっかけになったという。

小平ふるさと村内の水車

小平ふるさと村には、農村時代の暮らしぶりが展示されている。小平は、江戸の初期に玉川上水が整備されるまでは人の住まない荒れた土地だったそうだ。そこに玉川上水から小川用水が分水され、小平でも農耕が始まる。しかし、水はけの良すぎる土質は米作には適さなかった。それで、麦の栽培が盛んになる。小川があり、そこに水車があり、水車を使って収穫した麦を粉にする。そしてこれを麺に打って食べたのだ。なので、小平の武蔵野手打ちうどんは地粉を使うのが基本だ。ただし、ベッドタウン化が進んだ現在の小平では麦の収量も減っていることから、埼玉県産の小麦粉も原料にしているそうだ。

生地は一度寝かせてコシを強める

実演を見てみよう。うどんのできあがりを決定づけるのは水分だ。季節やその日の湿度、粉にしてからの日数などによって加水を微妙に調整するという。そうして小麦粉からうどんの生地を作っていく。生地ができあがったら30分から1時間くらい寝かせる。そうすることによって、麺にコシが出てくる。

足踏みして生地を拡げる

寝かし終えたら、足踏みだ。ビニールで包み、30~40センチの円形になるまで延ばし、小刻みに踏み続ける。30センチを超えるくらいにまで広がったら、次は麺棒を使って何度も麺棒に巻き付けては広げてを繰り返しながら、厚さ4ミリくらいにまで広げていく。次は麺切りだ。

麺棒を使って生地を薄く拡げていく

生地から麺棒を外し、10センチ幅くらいに屏風畳みにする。端を落としたら、4ミリ幅に切っていく。切った麺は、畳みしわを伸ばすため、叩いて広げていく。この作業で、余分な打ち粉も取り払われる。打ち終わった麺は、塩を入れて沸騰させたお湯で茹でていく。生地を作る際にも塩を加えているため、塩を含んだ湯で茹でることで、余分な塩分を取り除くことができる。これを冷水で締めれば、武蔵野手打ちうどんのできあがりだ。

約5ミリ幅に切っていく

武蔵野手打ちうどん保存普及会の提供スタイルは小平糧うどんと呼ばれいてる。糧とは茹でた野菜のこと。冷水で締めた冷たいうどんをきのこや油揚げの入った温かいつけ汁で、この糧とともにいただくのが地元の伝統だ。おかずというよりは、かつては小麦粉が高級品だったため、糧を添えることでかさ増ししたことがルーツという。その意味では栃木県のニラそば、大根そばと同じ発想だ。

麺が打ち上がった

かつお節と昆布、干し椎茸の戻し汁を使っただしもあっさりで、揚げ物や肉と合わせる「いまどきのうどん」とは対極的な味わいだ。しょうゆ味の引き立った汁の味付けも素朴そのものといった感じだ。まさに、身近な食材を使った農村ならではの味と言える。

茹で上がった麺を冷水で締め盛り付けていく

東京都武蔵村山市と埼玉県所沢市のうどんは、次回、改めて紹介することにする。

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