前回、2023年1月にアメリカのニューヨーク・タイムズ紙が岩手県盛岡市を「2023年に行くべき52か所(52 Places to Go in 2023)」で、イギリスの首都ロンドンに続く2番目に紹介、これを機に、盛岡の喫茶店が大きく注目を集めていると紹介した。同紙が盛岡の食文化として喫茶店と共に高く評価したのが「盛岡三大麺」の一つ、わんこそばで、喫茶店だけでなく、盛岡のわんこそば店にも多くの観光客が押し寄せている。
![わんこそばの老舗「東家」](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/30724bfe921e91ed8beac5d230d30d47.jpg)
この記事で、アメリカの作家クレイグ・モド氏が紹介したのが、盛岡のわんこそばの老舗「東家」だ。同店には、わんこそばを求めて、国内外から連日多くの客が訪れる。そんなわんこそばの歴史やその魅力について「東家」主人、馬場暁彦さんに話を聞いた。
![「はい、じゃんじゃん。はい、どんどん。」](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/0b904df8a0f449c8e9b7b63ae4c22a0e.jpg)
わんこそばといえば、お給仕さんの「はい、じゃんじゃん。はい、どんどん。」のかけ声と共に空になったお椀に次々とそばが入れられ、空いた椀を積み重ねながら食べ進めるものだ。その発祥には諸説あるが「東家」で採用しているのは、岩手県北・南部地方に伝わる「そば振る舞い」をルーツとする説だ。
![「東家」の生そば](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/dc4de7c8fb71dccd20c3c999ef29ba5b.jpg)
お祭りなどお祝い事や遠方からたくさん来客があった際に振る舞う「ハレの日」の料理だ。盛岡が位置する旧南部藩の内陸部は荒れ地が多く、海も遠く、用意できる贅沢な、自慢できる食べものが雑穀のそばくらいだった。そんなそばをたくさん食べてもらおうという風習がそのルーツにある。その意味で、かつては家庭内でもわんこそばが食べられていたという。
![大釜でそばを茹でる](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/0e83dc01b7e05afcb68c54d3e6af06d1.jpg)
馬場さん自身は家で食べるわんこそばには半信半疑だったというが、杜の都社が発行する老舗タウン誌「街もりおか」に掲載された、朝ドラ「おしん」で加賀屋の大奥様・八代くに役を演じたことでも知られる盛岡出身の女優・長岡輝子さんのエッセイを読み、そのストーリーに納得がいったという。そのエッセイは、今ももりおか文庫「愛しの盛岡~老舗タウン誌「街もりおか」の五十年~」で読むことができるので、興味のある人はぜひ手に取ってみてほしい。
![「愛しの盛岡~老舗タウン誌「街もりおか」の五十年~」](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/228268efe89536aa1316a60667e626c4.jpg)
紺屋町にある長岡さんの本家に泊まりに行った際、わんこそばを振る舞われたという。広大な旧家では、客間と台所が遠く離れて位置することが一般的だった。大勢の客にそばを振る舞うためには、親類縁者が長い廊下を何度も何度もマラソンのように往復せざるを得ない。それでは、ごちそうであるそばがのびてしまう。小分けにすれば、一度に多くの客に食べてもらうと同時に、常にゆでたてのそばを味わうことができる。その繰り返しがわんこそばという訳だ。「愛情」こそがわんこそばの由来と長岡さんは書いている。
![ゆであがったそばを水で締める](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/48e909d2c578e9d4aaff7d4ac3e07d8a.jpg)
台所が離れた場所にあったのはお屋敷に限らない。長屋などでも生活の部屋と炊事場は離れていたりした。一般家庭にあってもわんこそばは「ハレの日のごちそう」だったという訳だ。盛岡三大麺のじゃじゃ麺と冷麺が「ケ」の食だったのに対し、わんこそばが「ハレの日」の食である所以だ。
![岩手銀行赤レンガ館 盛岡の観光化は新幹線開業以降](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/3df987efb3617d168977153e2c2a726a.jpg)
そんなわんこそばが盛岡の観光資源化したのは、意外に最近のこと。1982年の東北新幹線盛岡開業が契機だったという。新幹線開業以前、盛岡は県庁所在地ではあるものの、平泉や遠野、八幡平などに比べ観光的要素が乏しかった。そこで「東家」の先代が、盛岡のわんこそば店に「空前の観光ブームが来る」と声をかけ、わんこそばのブランディングに着手、価格帯を定め、薬味をたくさんつけるなど価格に見合うだけの付加価値を付けて、さらにはお給仕さんが注いでいくというスタイルを確立した。
![ずらり並んだ薬味の数々](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/592c95832e562eaae6104880bedcc1ee.jpg)
酢やラー油などを好みで加えて味を完成させるじゃじゃ麺、辛さへのチャレンジを惹起する盛岡冷麺など、盛岡三大麺はおいしさのみならず、そのエンターテインメント性にも魅力がある。それだけにわんこそばも、大食いや早食いといった観点で見られがちだが、根底にあるのは、わざわざ来てくれたことへの精一杯のおもてなし。長岡輝子さんの言うところの「愛情」だ。
![椀に残ったそばつゆは桶へ](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/350cb942a4a1368624ba8dde6260efcd.jpg)
では実際に「東家」でそのおもてなしを味わってみよう。そばをひたすら食べる第一印象があるわんこそばだが、まずはテーブルにずらり並べられた薬味の数々に驚かされた。マグロの刺身、なめこおろし、とりそぼろ、胡麻、海苔、一升漬、漬物、とろろ、ねぎ、わさび、もみじおろしが並ぶ。食後にはデザートも用意される。奥の桶には、椀に残ったたそばつゆを適宜移していく。
![15杯でかけそば1杯分](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/de91796ee6cc84c7e2375e2d70267049.jpg)
椀の蓋を開けたらスタートの合図だ。お給仕さんがそばを入れやすいように高く持ち上げるのがお作法。そこにお給仕さんが「はい、どんどん」などの掛け声をとともに、そばを椀に入れていく。最初の1杯目は、薬味を使わずにそば本来の味を楽しむのも作法だ。ちょっと甘めの食べやすい味付けだ。15杯でかけそば1杯分の量だという。
![そばの後にはデザートも](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/9bb773500c75e0ec21056cb8f10dbac9.jpg)
続いて、テーブルの上の様々な薬味をトッピングして、味のバリエーションつけて楽しんで食べ進む。急いで食べなければならないというルールはない。自分のペースで食べればいい。終了の合図は、お給仕さんが見ている前で椀の蓋を閉めること。最後の1杯は、そばを全部平らげてから蓋を閉めるのもまた作法だ。食べ終えた後には証明書、100杯以上食べると手形ももらえる。盛岡流の「お腹いっぱい=最高のおもてなし」が実感できるはずだ。
![お腹いっぱい=最高のおもてなし](https://www.gastronomy.town/wp-content/uploads/2023/08/5529fd88c49f56d12af748d245610221.jpg)
ニューヨーク・タイムズ紙の記事を受けて盛岡市では、ニューヨーク市にある日本食の複合施設「ジャパンビレッジ」で、市の文化を紹介するイベントを開催、その魅力を広く発信した。「すごく突出したエンターテインメントはないものの、歩いて楽しく、時間を潰せる町と評価されたことに感謝している」とは馬場さん。盛岡の暮らしの中から生まれた、そのおもてなしの味を、ぜひ一度現地に足を運んで味わってみてほしい。