旅先で、手軽にその土地らしい味を堪能したい…。そんなときには地元の老舗居酒屋を訪ねるのが一番だ。庄内・酒田の味を愉しむなら「久村の酒場」が最適だ。酒田の中心街の一角、交差点の角にその店はある。酒屋に隣接した、いかにも風情のある居酒屋だ。
酒屋としての創業は慶応3年という。江戸時代だ。その後、酒を買いに来た客がついでに一杯引っかけるようになる。いわゆる「角打ち」がルーツだ。入り口付近の「コ」の字のカウンターは、テーブルがショーケースになっていて、中にはその日おすすめの酒のつまみが用意されている。いかにも飲兵衛が好みそうな雰囲気になっている。
酒田は山形県庄内地方の中心都市。まずは、地元特産のだだちゃ豆でビールをいただこう。もちろん、カウンターのガラスの中で、だだちゃ豆は飲兵衛につままれるのを待っていた。うまみと甘み、そして香り豊かな、庄内ならではの高級枝豆だ。
ガラス越しに芋煮も見える。山形と言えば、芋煮は欠かせない。注文すると、ケースから取り出し、温め直してくれる。
山形県は、県都・山形市が位置する村山地方を中心に、それぞれ高い山地を堺に、南の置賜、北の最上、そして唯一海に面する庄内地方とに分かれる。高い山々はかつて、人々の交通を阻んだ。人や物資の流れが細ることにより、それぞれ独立した文化が形成される。食文化も同様だ。
山形名物と言いつつ、実は4地域で、それぞれ芋煮が違う。全国的に知られる村山の芋煮は、味付けは甘めのしょうゆで、肉は牛。こんにゃくは手でちぎって入れるのがお約束だ。一方、庄内では、味付けはみそで肉は豚だ。ねぎの他に、しめじなどきのこや厚揚げも入った具だくさんの芋煮だ。「久村の酒場」の芋煮も、ごろっと大ぶりのサトイモに豚肉が絡みつく。ニンジンも見える。
ちなみに置賜は、味付けはしょうゆベースでみそを隠し味に加える。肉は牛。ニンジンやダイコンをたっぷり入れ、こんにゃくは糸こんにゃくを使う。最上は、味付けはしょうゆの村山風だが、肉は豚になる。ブナしめじやまいたけなどのきのこ類がたっぷりと入る。
芋煮にも使われるように豚肉は庄内を代表する味の一つだ。米どころとして知られる庄内では、使役動物として、さらには堆肥の供給源として、ほとんどの農家で家畜を飼っていた。それが、畜産・酪農に結びつく。特に養豚は、早くから品種改良や飼料の研究が進められ、多くのブランド豚肉が誕生した。「久村の酒場」でも、庄内豚をじっくりと煮込んだ角煮がメニューに載せられていた。豚肉の味わい、柔らかな歯触りはもちろんだが、添えられたなすのおいしさも出色だった。
庄内の食文化の、他の4地域との最大の違いは海産物だ。唯一海に面しているだけでなく他の3地域との間には出羽山地がそびえ、物流を阻んでいる。このため、庄内の海の幸は、コールドチェーンが発達する以前は他の地域には鮮度を保ったままでは届かなかった。干すなどして保存性を高めた上で運ぶのが原則で、山形名物の玉こんにゃくがするめを加えたしょうゆでこんにゃくを煮るのはこのためだ。
一方で、庄内は海に面し、海産物が豊かだ。特に夏の庄内と言えば、岩牡蠣は欠かせない。冬の真牡蠣とは逆に夏に旬を迎える岩牡蠣は、日本海沿岸が本場だ。お盆明けの訪問だったこともあり、「久村の酒場」での提供は終わっていたが、海沿いの鮮魚店で、岩牡蠣を堪能した。天然物で、身の大きさが岩牡蠣の魅力だ。生のままつるっといただき、その甘さを存分に堪能した。
夏の庄内の味としてぜひとも食べておきたかったのが、むきそばだ。粉にして麺を打つのではなく、殻を剥いたそばの実をそのまま茹でて、だし汁で食べる料理だ。古くは関西の寺院で食べられていたものだが、江戸時代の中期に庄内に伝わり、酒田の郷土料理の一つとなった。
味わい深い冷たい汁が、夏には最適だ。ミョウガや大葉の夏の香りが、さらなる爽やかさを演出する。さっぱりとした裂いた鶏肉、しっかり煮含められた干しシイタケが味に奥行きを加える。麺にしたそばにはない食感もむきそばならではの魅力だ。
魅力的なのは郷土料理だけではない。居酒屋定番のつまみも人気が高い。餃子は、こりこりした食感のあんが魅力だ。「コ」の字のカウンターのすぐそばで、皮であんを包む。包みたて、焼きたてはおいしい餃子の必須条件だ。
特にハマったのが長芋の明太子チーズ焼き。朴葉の上に大ぶりに刻まれた長芋を並べ、明太子とチーズをのせて焼いたもの。長芋のしゃくしゃくとした食感に、とろけたチーズが絶妙に絡みつく。そして、後から明太子の辛みがやってくる。これなら、いくらでもビールが飲めそうだ。
もちろん米どころの、酒屋直営の老舗居酒屋だけに、地元以外では味わえないような日本酒を揃える。酒田を訪れた際にはぜひ顔出したいお店だ。