JR中央線や中央自動車道で甲府方面に向かうと、八王子を過ぎたあたりで、驚くほどに風景ががらりと変わる。山梨県の「郡内」と呼ばれる山深い地域だ。上野原市や大月市、小菅村などの北部は急峻な山が連なり、一方で富士吉田市など富士山の裾野は、開けてはいるものの富士山に向かって急斜面が続く。田んぼが作れない、米の乏しい地域だ。これまでにも紹介してきたが、せいだのたまじや大月おつけだんごのように芋や麦が主食になる。そんな郡内の麦食の中でも特に知名度が高いのが、富士吉田市の吉田のうどんだろう。
富士吉田市は、富士山の北側山麓に位置し、火山灰地質や富士山に向かって斜面が続く地形、標高の高さに由来する低い気温など、古くから稲作には不向きな土地柄だった。そのため、麦をはじめとした雑穀を炭水化物として食べてきた。さらに、農業に適さない気候は、男性の「出稼ぎ」をも生む。
富士吉田市や隣接する西桂町では、平安時代から「郡内織物」や「甲斐絹」と呼ばれる織物づくりが盛んだった。古くから、繊維産業を支える労働力の主力は女性だ。女性が家で機を織り、男性は行商でそれを売り歩く。家事は、帰ってきた男性が担うのが富士吉田の生活様式だ。その傾向は戦後さらに加速する。戦時中に低迷した繊維需要が、戦後になって急速に回復し、生地は織るそばから飛ぶように売れていく。活況にわく富士吉田では、織物業で働く女性「織姫」の争奪が起きる。
吉田のうどんと言えば、硬くてコシが非常に強い麺で知られる。その背景にあるのが、こうした男性が料理をする富士吉田ならではの生活スタイルだ。男性の力で打つ麺は独特の強いコシを生み出す。食の太い男性が調理するという側面も、吉田うどん特有の腹持ちの良さにも影響を与えている。
小麦粉に塩水を加えた生地をビニール袋に入れ、1時間ほど寝かせる。それを袋ごと足で踏んでこねる。男性の力強い、そして体重ののった「ステップ」が力強いコシを生み出す。この生地を1センチほどの厚さに伸ばし、さらにのし棒で5ミリほどほどの厚さまで伸ばす。これを、三つ折りして5ミリ幅で切れば生麺の完成だ。その断面は正方形。極太、しかも固いと言っていいほどのコシだ。ゆで時間は10分以上かかる。
スープのだしには煮干やかつおぶし、シイタケを使うのが一般的だ。味付けはしょうゆ、みそ、さらにはしょうゆとみその合わせ味と家庭や店ごとに異なる。ただし、みそはやや控えめで、一見すまし汁だが、箸でかき混ぜると、下からみそが浮き上がってくるようなケースが多い。
具の定番は、まずゆでキャベツ。麺のコシの強さとは対照的に柔らかくなったキャベツを味を付けずにトッピングする。肉は馬肉が定番だ。甘辛く味付けして煮る。ほかには油揚げやわかめなど、うどんには定番の具が多く使われる。
薬味は、「すりだね」が吉田のうどんならではだ。トウガラシをベースに、ごまや山椒を加えてごま油で炒めたもの。辛味と炒めた香ばしさ、さらにはごまの風味が、吉田のうどんをひときは美味しく引き立てる。
実際にお店で食べてみよう。まず訪れたのが「手打ちうどんムサシ」。吉田のうどんの力強さを実感するには最適の1店だ。麺は極太で、コシの強さは食べ終えるまでに顎が疲れてしまうほどだ。特に冷水で締めた冷やし麺は、のし餅かと思うほどの、コシと言うより歯ごたえだった。
だしはかつおぶしの風味がひときわ強い。ひとくちすすると口の中いっぱいにかつおぶしの風味が広がる。味付けはしょうゆとみその合わせ味。運ばれてきた瞬間は透明度が高く、しょうゆ味にも見えるが、食べ進むと沈殿していたみそが浮き上がってくる。すりだねは、一味トウガラシが立った配合だった。
具のボリュームもすごい。人気のトッピングを一緒盛りにしたムサシうどんは巨大なかき揚げがひときわ目を引く。定番のゆでキャベツに、甘辛く味付けされた油揚げやワカメものる。具も麺もとにかくボリューム満点。吉田のうどんの男性的な力強さが、これでもかと味わえる。
一方で、駐車場の空き待ちで渋滞が起こるほどの人気店が「みうらうどん」だ。「ムサシうどん」とは対照的に、麺も具も万人受けするであろうボリューム感だ。もちろん吉田うどん特有のコシの強さは健在だが、「ムサシうどん」ほどの噛み応えではない。大量の天かすを用意するものの、かき揚げなど天ぷらがない点も、ボリューム満点の「ムサシうどん」との違いだ。具もバランス良く配置されている。
スープは、しょうゆとみその合わせ味。みそは地元産のものにこだわる。だしは煮干しをていねいに炊き上げ、深い旨味と香りを引き出す。水も富士山麓の水を使い、その日の気候に応じてたれとだしを配合するほどのこだわりだ。すりだねは粘り気があり、ごまの風味が立っていた。
両店に共通していたのが、山椒。テーブルにはすりだねなどとともに山椒が置かれていた。特に肉うどんとの相性がいい。甘辛く煮込んだ肉に適度な刺激が加わる。
対照的な2店に対し、吉田のうどんの王道とも言えるのが「くれちうどん」。行列必至、売り切れ必至の人気店だ。コシも太さも最適の麺に、魚介をベースにしたしょうゆとみその合わせ味のスープ。馬肉とゆでキャベツ、わかめのトッピングも、吉田のうどんのど真ん中、直球の剛速球だ。
昔ながらの吉田のうどんを味わいたいなら「栄屋」。創業100年を迎えようかという老舗だ。麺は柔らかめ、細め。朝8時の開店ということもあり、朝食に最適の吉田のうどんだ。生卵ではなく、白身が固まった温たまと豚肉がのった肉玉うどんは、他店では味わえない個性がある。
観光客向けも含めて非常に店舗数が多い吉田のうどん。人気店は営業時間が限られ、麺のゆで時間の長さから、比較的行列ができやすい。事前にお店情報をゲットし、訪れる店を決めてから食べに出かけるのが賢明のようだ。