岩手県の県庁所在地、盛岡は麺どころとして知られる。そもそも米作には適さない土地柄だが、名物麺料理が3つもある。リズミカルにおかわりを繰り返すわんこそば、中華料理の炸醤麺をルーツに、肉味噌を絡めた麺を食べ、生卵を加えたスープ、ちーたんたんでシメるじゃじゃ麺。そして今回紹介する盛岡冷麺だ。
冷麺というと朝鮮半島の料理というイメージが強いが、盛岡冷麺は朝鮮半島にルーツは持つものの、人気の高い「平壌冷麺」とは少し違った特徴を持つ。まずそこからおさらいしておこう。本場・朝鮮半島の冷麺には、実は平壌(ピョンヤン)冷麺と咸興(ハムフン)冷麺の2種類がある。平壌は言わずと知れた朝鮮民主主義人民共和国の首都だが、咸興は、北東部、朝鮮半島の付け根部分にあるまちだ。
平壌冷麺がキジ肉のだしや水キムチの汁を使ったスープを使うのに対し、咸興冷麺は麺につゆをからませて食べる、いわゆるビビン冷麺に近いものだ。盛岡冷麺は、咸興冷麺をルーツに持ちながらも、平壌冷麺の魅力も兼ね備えている点が特徴だ。
その発祥は、咸興出身の在日朝鮮人である楊龍哲(日本名:青木輝人)さんが盛岡市内に食堂を開いたことに遡る。その際、咸興冷麺と平壌冷麺を融合させ、独自に創作した冷麺を提供した。平壌冷麺が黒っぽいそば粉が主原料の麺を使うのに対し、小麦粉が主原料の半透明で非常にコシの強い麺を使った。スープも、キジ肉と水キムチの味を参考に、牛骨に鶏ガラを加えたスープに酸味と辛味のあるキムチを組み合わせ、独自の味とスタイルを完成させた。
この味が人気を呼び、在日朝鮮人を中心に盛岡市内の多くの店で、この「盛岡式」とも呼べる冷麺が提供されるようになる。そして、1986年に盛岡市で開催された「ニッポンめんサミット」に出展した「ぴょんぴょん亭」がこの冷麺を「盛岡冷麺」と名付けたことからその名が広く知られるようになったという。
「ぴょんぴょん亭」は、翌87年に「ぴょんぴょん舎」をオープンする。これが盛岡で最も高い人気を誇る焼肉店であり、冷麺のお店である「ぴょんぴょん舎」の始まりだ。「ぴょんぴょん舎」は開店当初からテイクアウト用冷麺の販売にも熱心で、東銀座にある岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」を始め、盛岡以外の地でもその味を手軽に楽しめるようになった。
まずはその「ぴょんぴょん舎」を訪ねよう。盛岡駅前、ロータリーを越えてすぐの場所にある。旅の途中に、乗り換えの間にも利用できる、旅人には便利なお店だ。ロースターのある焼肉店だが、1人でも気軽に楽しめるようなメニューが用意されている。
そんな「おひとり様」にぴったりのメニューが冷麺焼肉セットだ。焼肉というと、1人ではなかなかあれこれ食べられないが、最初から盛り合わせになっているので、少しずつ様々な肉を楽しめる。ビールと共にまずは牛焼肉セットを注文する。カルビ、ハラミ、モモ肉が2枚ずつ。自分で焼きながら、頃合いを見計らって口に放り込む。ビールが進む。
小鉢のナムルはいい箸休めだ。ついついビールが進んでしまう。肉を楽しんでいるうちに主役の冷麺がやってくる。とはいえ、酒飲みとしてなかなかシメに箸が伸びない。「冷麺は早めに召し上がってください」の店員さんの声を左手が拒絶する。焼肉セットのもうひとつの選択肢である白金豚焼肉セットにどうしても心残りがある。白金豚のバラ肉と肩ロースのセットをマッカリと共に追加してしまう。
豚肉特有の脂の甘みがマッカリを誘う。牛肉のたれに対し、豚肉はさっぱりレモン汁でいただく。いけないいけない、主役は冷麺だった…。
冷麺は別辛、中辛、特辛、激辛と辛さを選べる。迷わず激辛を注文する。とはいえ、チャレンジするような激辛ではない。他の店も同様なのだが、盛岡冷麺のスープには独特の甘さがある。特に「ぴょんぴょん舎」の甘さは秀でている。とはいえ決してスイーツのような甘さではない。うまみに通じる甘みなのだ。それを辛味がいい感じに引き締めてくれる。辛さと甘さが絶妙のバランスなのだ。
もう1カ所、焼肉屋の盛岡冷麺を確認しておこう。盛岡駅の駅ビル「フェザン」の向かいにある「盛楼閣」でランチタイムに盛岡冷麺をいただいた。空き席待ちの行列ができるほどの繁盛店だ。出てきた盛岡冷麺は、「ぴょんぴょん舎」もそうだったが、透明感のある麺が、赤いスープの中できれいたたまれている。
やはり激辛で注文したが「盛楼閣」の方がパンチのある辛さだった。見た目の赤さ加減で写真でもそれが分かるだろう。とはいえ、「ひーひー」言うほどの辛さではもちろんない。あくまでマイルドであり、甘さとの調和がある。
少し食べ進んだ後で、追いかけるように酢を加える。スープに酸味が加わると言うよりは、麺のコシが引き締まる印象だ。かけすぎるとスープが酸っぱくなってしまうが、酢を加えることで、確実に麺がおいしくなると感じた。
そして、終盤に麺の下から肉を「発掘」することを忘れてはならない。サシのない赤身の肉だが、ここにたどり着くことで「焼肉屋のシメのメニュー」であることを実感する。
盛岡からの帰り際、最後に、駅ビル「フェザン」の中にある「大同苑」でも冷麺を食べた。やはりきれいにたたまれた麺に赤いスープを絡めていただく、追いかけるように酢をかける。こうしておいしく盛岡冷麺を完食するのだ。大人数ならもちろん焼肉を堪能して冷麺でシメめるのが理想だが、ひとりでも、駅ビルでささっと楽しめるのが、盛岡冷麺の魅力でもあるのだ。