かつおぶしは、昆布と並び和風の麺料理には欠かせない、だしの素となる食材だ。だが、その歴史は意外に浅く、かつおを燻して水分を飛ばし、保存性を高める手法が紀州で考案されたのは、江戸時代に入ってからだ。伊豆半島西岸、西伊豆町の「西伊豆しおかつおうどん」は、そんなかつおぶし誕生以前のかつおの食べ方をルーツに持つ麺料理だ。
かつおぶしの誕生で絶滅の危機
かつおぶしは、生のかつおを3枚におろして身の部分を煮沸し、水を切ってから、薪を使って燻し乾かし、それにカビを付着させて熟成と乾燥を繰り返し、完成させるもの。長い時間をかけて作ることで、より深い味わいが形成される。この手法が確立する以前は、生のかつおを丸ごと塩漬けにして保存していた。それがしおかつおだ。
その歴史は古く、税金として奈良の都、平城京に送られた証しが遺跡から発掘されたほど。広く日本中で食べられていた。しかし、半永久的に保存がきくかつおぶしに対し、しおかつおは賞味期間が短く、また塩気も強すぎるため、次第にかつおぶしにその地位を奪われ、日本人の食卓からは姿を消してしまっていた。
神事とともに食べ継がれる
そんなしおかつおが、なぜ西伊豆で生きながらえたのか。それは神事に使われていたことが背景にある。西伊豆町田子地区は、古くからかつおの水揚げ港として栄え、しおかつお、かつおぶしの製造も盛んだ。同地区では、航海の安全と豊漁豊作・子孫繁栄を祈願する縁起物として、正月の神棚に、藁でお飾りをしたしおかつおを供える習慣がある。「正月魚(しょうがつよ)」とも呼ばれるのは、このためだ。
三が日が過ぎると、神棚からおろし、みんなに振る舞う伝統の郷土料理であるとともに、かつては、 雇用の証しの品として、船主から船員へ、年の初めに渡されてもいた。このため、他地域とは違い、かつおぶし誕生以降も、しおかつおが絶えることなく食べ継がれてきた。
塩漬けにして干すだけ
手のかかる鰹節に比べ、その製法はとてもシンプル。冬の初めに、内臓を取り除いたカツオを丸ごと2週間塩漬けする。その後3週間かけて西伊豆特有の強い西風にさらし、水分が抜けたら出来上がりだ。
食べ方は、まずしおかつおを三枚におろし、適当な厚さに薄切りする。これを好みに応じて、切り身を焼いてそのまま焼き魚として、 焼いたものをほぐしてご飯にのせてお茶漬けにして、 あるいは切り身を酢を使って塩抜きし、酢の物にして、といった具合だ。古くから西伊豆では食べ続けられてきたしおかつお料理だが、今回紹介する西伊豆しおかつおうんのレシピは、実はある目的から新たに誕生したものだ。
伝統の味でまちおこし
2009年7月に、西伊豆にしかない伝統的な保存食品・しおかつおを通して、伊豆地域の発展に貢献していく有志の会が結成された。現在の西伊豆しおかつお研究会だ。同じ静岡県で、地元ならではの味・やきそばを使ってまちおこしを成功させた富士宮やきそば学会を手本に、しおかつおによるまちおこしに取り組む。伝統の味をより食べやすく表現する課程で、現在の西伊豆しおかつおうどんが誕生した。
しおかつおの切り身を網焼きにしてほぐし、ゆでたて熱々のうどんの上に、ごま、海苔、ワカメとともにふりかけ、かつおぶしと刻みねぎをまぶし、隠し味にだし醤油を少量入れてかき混ぜればできあがり。トッピングには温泉玉子をのせる。
2011年に兵庫県姫路市で開催されたB-1グランプリに西伊豆しおかつお研究会が初出展。会場に縁起物のお飾りをつけたしおかつおをずらりと並べ注目を集めた。地元だけでなく、東京都心にも常設で提供できる店舗を展開するなど、現在もその普及に努めてい。