埼玉県北西部に位置し、東京都、群馬県、そして長野県にも隣接する秩父市。荒川支流の清流と山々に囲まれた秩父盆地など自然が豊かな山間の地域だ。その名物料理が豚肉の味噌漬け。地元の猟師たちがイノシシを捕らえた際に、保存のため、味噌に漬け込んでいたのがそのルーツとされる。
豚肉の味噌漬けを秩父の名物にしたのは、大正4(1915)年創業の老舗、秩父市中心街に店を構える「せかい」だ。戦後に先代が豚肉の味噌漬けを考案、秩父を代表する土産品にまで育て上げた。広島産の国産大麦味噌と信州味噌をブレンド、熟成させて豚肉を漬け込む。老舗だけに、その加工法は実に丁寧だ。
肉に漬け込み用の味噌がこびりかないよう、ガーゼで巻いてから味噌を塗り込む。箱入りの豚肉味噌漬けのふたを開けるとたっぷり味噌が塗られているが、ガーゼをはがすと、きれいな肉が現れる。味噌に漬け込まれた赤身の色は実に鮮やかだ。味噌が染み込んだのだろう、つややかに味噌色を帯びている。
「せかい」は豚肉味噌漬けを中心とした販売店だが、2020年、店舗に隣接した表通り沿いに直営店の「新世界」をオープンした。ここで、自慢の豚肉味噌漬けを使った料理を食べることができる。人気メニューは「せかい豚味噌丼」。並盛りは肉2枚で990円だが、肉3枚の大盛りが1210円、肉6枚の徳盛りで2200円と、自慢の肉を増やしての注文もできる。ちなみにご飯の量も肉に合わせて増量される。
「せかい豚味噌丼」はご飯の上に千切りキャベツを敷き、その上に豚肉の味噌漬けがのせられ、万能ねぎを散らし、紅ショウガを添える。しっかり味噌が染み込んだ赤身部分が、白いご飯を誘う。肉のおいしさが際立っている。後で紹介する「野さか」も「ちんばた」もロース肉とバラ肉を組み合わせて豚みそ丼を構成するが、ロース肉味噌漬けの老舗らしく、ロース肉のみを2枚使用する。豚肉味噌漬けの伝統を前面に押し出したメニューだ。
一方「豚みそ丼元祖発祥の店」を名乗るのは「野さか」だ。「せかい」とは、秩父鉄道・西武秩父線の線路を挟んだ反対側に位置する。秩父伝統の豚肉味噌漬けを炭火で焼き上げどんぶり飯にのせ「豚みそ丼」として売り出した店だ。
残念ながら、折からのコロナ禍で、弁当のみの販売になっていた。肉はロース肉とバラ肉がセットになっている。炭火焼らしい、香ばしい味噌の「こげ」が食欲をそそる。肉は味噌漬けだが、ご飯部分にはしょうゆベースのたれがかかる。このたれかけご飯の味わいが、豚肉味噌漬けのおいしさをさらに引き立てる。
店頭では、冷凍した豚肉味噌漬けも販売している。持ち帰って、自宅で温かい豚みそ丼を作ってみた。今回はバラ肉を購入してきたが、できたて熱々の豚肉味噌漬けは、脂の甘さが出色だ。炊きたてのご飯にからんだしょうゆだれとの相性も抜群だ。単に豚肉味噌漬けをご飯に乗せただけではなく「豚みそ丼」として昇華させたのだなと改めて自覚した。コロナが落ち着いたら、ぜひ、お店でできたてを食べたいものだ。
もう一軒、「ちんばた」でも豚みそ丼を食べてみた。開店時間と同時に満席となるほどの人気店だ。「ちんばた」の豚みそ丼は、トッピングはロース肉とバラ肉の組み合わせ、ご飯はたれなしというスタイルだった。網の上で1枚ずつていねいに炭火焼する豚肉味噌漬けは、やはり香ばしい。
ちなみに、とあるフードコートで豚みそ丼を食べたが、薄切りの肉がなんとも物足りなかった。とんかつほどの厚さになると少し歯に当たるかもしれないが、今回紹介した3店は、いずれもショウガ焼きタイプのちょっと厚みのある切り方だった。適度な厚みが、絶妙の歯ごたえを演出する。そして、酒のつまみというよりは明らかに「白いご飯の供」の味わいなのだ。
「新世界」でも「ちんばた」でも、箸休めには地元の名物、しゃくしな漬けが添えられていた。都心から特急で1時間半ほどの秩父。そこには地元の気候風土、暮らしから生まれたご当地ならではの味があった。コロナが落ち着いたらぜひ、訪れて食べてみてほしい。