第1回(全2回)
武田信玄ゆかりのまち甲府市
昨年開府500年を迎えた山梨県の県庁所在地甲府市は、武田信玄ゆかりのまちとして知られています。武田信玄公が祀られている甲斐の国総鎮護「武田神社」は甲府を訪れた際にはぜひ立ち寄りたいスポット。1919(大正8)年、信虎・信玄・勝頼の武田三代が居住した躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡地に創建され、国指定史跡となっています。
甲府を代表する観光地、新日本観光地百選・渓谷の部第1位の特別名勝「昇仙峡」は、清流と水晶の秘境、日本一の渓谷美と称され、日本遺産にも認定されました。長潭橋(ながとろばし)から落差30mの仙娥滝までの全長約5キロの渓谷は、花崗岩を深く侵食したことにより形成され、高さ約180mの巨岩「覚円峰」や天然のアーチといった趣の「石門」など見どころが点在します。
また国産ワインの一大産地として知られる山梨県ですが、甲府は国産ワイン発祥の地。歴史や自然、そして食文化も豊かな甲府市といえば、昨今ではご当地グルメ「甲府鳥もつ煮」、郷土料理「ほうとう・おざら」が有名ですが、実はカツ丼発祥の地として知る人ぞ知るまちなのです。
卵とじでもソースでもないカツ丼
カツ丼といえば卵とじを想像する方が圧倒的多数ですが、カツ丼といえばソースカツ丼を指す地域があることを本シリーズで紹介してきました。ソースカツ丼は卵とじカツ丼よりも早く誕生し、ソースカツ丼と卵とじカツ丼はそれぞれ独自に進化し、地域に根付いてきたと考えられています。ところがソースで味付けされたのでも、卵でとじられたのでもないカツ丼が甲府に存在し、その歴史は何と明治時代から続いている、ということが近年知られてきました。
甲府のカツ丼は全国で唯一、揚げたままの味のついていないとんかつが丼にのって登場します。ソースカツ丼であれば千切りキャベツがのる例はありますが、甲府のカツ丼はキャベツのみならず、ポテトサラダ・トマト・レモン・パセリなどが丼に盛られるという驚きのスタイル。そして食べるときに自分のお好みでソースをかけて食べるのです。とんかつ定食というよりも、銀皿のカツライスがそのまま丼に盛られたようなスタイルで、一般的な卵とじは「煮カツ丼」と呼ばれ、区別されています。
進取の気性が生んだカツ丼
甲府のカツ丼発祥の店「奥村本店」は江戸寛文年間の創業でなんと360年以上の歴史を持つ老舗のそば店。甲府市内には「奥」の字のつくそば店が多いのですが、奥村出身もしくは流れをくむ店が多いからだそうです。
現在の当主、由井新二氏の曽祖父、由井新兵衛氏は、老舗の暖簾を引き継ぎながら大変進歩的で、例えば甲府市でいち早く薪からガスに変えるなど、柔軟性のある進取の気性の持ち主であったそうです。その新兵衛氏が明治30年代前半に東京で食べたカツレツに感動し、メニューに取り入れようと考えました。甲府では当時、出前で親子丼や天丼など丼物が多く、ライスとカツが分かれたカツライスのスタイルでは、出前に向かなかったため、そのまま丼にのせるというアイデアでカツ丼を作ってしまったのではないかとのことです。
甲府のカツ丼が誕生した年は残念ながら定かではありません。当時のメニューなどが残っていればよかったのですが、甲府は空襲にあっており、お店とともに、いろいろなものが焼失してしまったそうです。その際、唯一持って逃げたのが、1903(明治36)年に店の前で撮った写真。
その撮影後ほどなくしてのれん分けで開業した「若奥」(現在は閉店)が、カツ丼も含め「奥村本店」と同じメニューで創業したと親族の方が聞いており、少なくとも1903(明治36)年以前には甲府にカツ丼が存在していたと考えられます。
ジャンルの違うソースを選べる…?
「奥村本店」のカツ丼のカツは洋食のポークカツレツの衣のような、とんかつよりは目の細かいパン粉でしっかり目のもの。ソースはウスターソースととんかつソースの2種類が用意され、好みで選んで自分でかけるというスタイルです。甘さ辛さの種類はあっても、ウスターととんかつというジャンルの違うソースがあるというのは、とんかつ専門店でも見たことがありません。
現代のとんかつにかけるソースの主流はとろみの強いとんかつソースですが、明治・大正に創業した東京の老舗のとんかつ店や洋食店では、ウスターソースを使う店が少なくありません。奥村本店の揚げたてのカツ丼にかけるソースが二種類用意されているのは、もともとウスターソースのみでしたが、時代の流れでとんかつソースも用意するようになった、という歴史的な背景からでしょう。ここにも実に奥深い歴史と柔軟さを感じさせられます。
愛され続ける独自の文化
カツ丼の源流は甲府にあった。明治後期・大正・昭和初期に庶民の食文化にも洋食の波が訪れ、それを迎え撃つそば屋には、カレー南蛮や卵とじカツ丼のような和洋折衷料理が生まれました。甲府ではそのままカツライスを丼にのせるというカツ丼のプロトタイプが誕生し、煮カツ丼という卵とじカツ丼と併存する形で、現在に至るまでご当地カツ丼として市民に愛されて続けていることに、食文化の奥深さと面白さを感じます。