第1回(全4回)
関東最大級の繊維産地 桐生市
桐生(きりゅう)市は群馬県東部に位置し、両毛線沿線でつながる栃木県と接しています。産業面では日本を代表する織物業のまちで、奈良時代から絹織物の産地としても知られる歴史あるまちなのです。江戸時代には天領となり、西洋の技術を導入した桐生織は京都の西陣織と並び称され、「西の西陣、東の桐生」呼ばれるほど高い評価を得てきました。
現在も繊維工業が盛んで関東最大級の繊維産地であり、絹織物業の繁栄はまちなかに多くの文化財を残しています。また繊維工業は様々な技術を育み、その結果自動車部品産業やパチンコなどの遊戯機器の有名企業の発祥につながっているという意外な一面もあります。
市のキャッチフレーズは「伝統と創造、粋なまち桐生」だそうですが、数年前に桐生出身の女優篠原涼子のファッション誌の表紙のようなポスターを、桐生のPRポスターとして採用したことが話題になりました。美しい写真とローマ字の「KIRYU」という文字が大きく書かれたおしゃれなポスターは、地方都市の取り組みとしてはユニークで、現在でもまちなかで見かけるほど、観光客のみならず地元からも高い評価を受けています。
ソースカツ丼と醤油カツ丼が存在する群馬
さて群馬県といえばマスコミにもよく取り上げられる卵でとじないカツ丼が多く存在しますが、中でも最もよく知られる地域はこちらの桐生市です。「玉子でとじないカツ丼」と書いたのは、群馬県にはソースカツ丼と醤油カツ丼の両方が存在しているからなのです。まず少し群馬のカツ丼についてご紹介しましょう。
大まかにいうと、県内最大の人口を誇る県南部の高崎市を挟んで概ね東側がソースカツ丼エリア、西側が醤油カツ丼エリアとなっています。境目となる高崎市にはソースカツ丼と醤油カツ丼が混在しており、しかも大正から昭和初期に創業の老舗のお店が現在も人気店として営業しているのです。
県内でもソースカツ丼のまちといえばすぐに名前が出るくらい知名度の高い桐生は、観光客も訪れ地元の人気店には行列ができるほどです。
ロースではなくヒレが主役
桐生のカツ丼のスタンダードスタイルは、ヒレカツ3~4個を特製ソースに通したものをのせるというシンプルなもの。ポイントは全国的にはロースが主体のソースカツ丼にあって、ヒレカツが主役であること。千切りキャベツはご飯にのらないこと。そして特製ソースには醤油やみりん、砂糖といったいわゆるそばの「返し」にウスターソースを合わせるという、間違いなくご飯の進む日本人好みのものであることです。
ヒレカツが主役とは言いながら、ロースのソースカツ丼や卵とじカツ丼があることも珍しくはありません。またヒレカツは希少部位の柔らかな高級食材で価格はやや張るので、ロースの他に柔らかく仕上げたモモ肉のソースカツ丼もあります。それでも全国的に珍しいヒレカツがスタンダードというのには、桐生の歴史と文化が深くかかわっているようです。
繊維文化が織りなす食文化
桐生の織物文化は多くの人を都市部に向かわせ、また各地から買い付けに来るお客様も多数訪れていました。食に関する最新の情報も集まっており、また高級な桐生織を求めてくるお客様へのおもてなしとして、美味しいものをふるまうという文化がありました。桐生は食道楽・着道楽などといわれており、現在も鰻屋、フレンチ、イタリアンの名店があります。
庶民も食べるカツ丼であっても桐生で出すならヒレカツを、ということでヒレカツのカツ丼がスタンダードとして定着したのではないか、というのは地元の方のご意見です。
桐生のソースカツ丼の発祥は1926年創業の「志多美屋」。ルーツはうなぎ屋さんで、当初は食堂でしたが、ソースカツ丼が人気となり40年以上前に専門店となっています。うなぎのタレにウスターソースを合わせたという誕生の秘話からは、ソースカツ丼と言いながら和風の香り漂うカツ丼が絹織物のまちのソールフードとして根付いたことをうかがわせます。
ヒレ肉のカツ丼がスタンダードのまちは、桐生以外には見当たりません。脂が少なく柔らかい、ちょっと高級なヒレカツのソースカツ丼は、高齢化社会に最もふさわしいカツ丼なのかもしれません。