ソースカツ丼の奥深き世界 ~ カツとソースとご飯の素敵な関係 ~

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カツ丼の主役といえば とんかつ だが

ソースカツ丼はやはりソースの存在が大きい。

ここで、とんかつとソースの関係について触れてみたい。現代では とんかつを食べるには、とろみのある とんかつソースが一般的だが、昭和初期以前から続く老舗とんかつ店では、今でもウスターソースを使う店が少なくない。

カツレツは日本に上陸した明治初期のころ、牛肉を使って少ない油で揚げ焼きの様に「焼く」薄めのものだったが、明治30年前後に天ぷらの様にたくさんの油で「揚げる」ポークカツレツが生まれ、更に昭和初期に現在の厚いとんかつにつながる揚げ技術に発展する。ビフカツはデミグラスソースが定番だが、日本人には濃すぎるという声が大きく、さっぱりとした酸味のあるウスターソースを使うようになった。

初めてカツレツにウスターソースを使い、たっぷりの油で揚げる手法でカツレツをとんかつに導き、添え物の温野菜をキャベツの千切りにするという、現在のとんかつのスタイルの基礎を築いたのは銀座の「煉瓦亭」だといわれている。

ウスターソースは新しい醤油?

あっさりした味わいを好む日本人に、ウスターソースが定着していくには、少し時間がかかる。ウスターソースは1837年にイギリスのウスターシャ地方で売り出される。日本では江戸時代の天保8年のことだ。国産ソースの発売は約50年後の1885(明治18)年、ヤマサ醤油から「新味醤油」という名前で発売されている。

見た目が醤油に似ていることから名づけられたのだろうが、驚くのはそのレシピでなんと醤油をベースに作られたというもの。文字通り、新しい醤油だったわけだ。レシピを見る限りスパイシーさや酸味はあったようだが甘みがなく、残念ながら1年ほどで発売中止になったという。

その後1894(明治27)年に三ツ矢ソースが発売され、洋食が普及し始めていたこともありヒット商品となる。ウスターソースはこの頃洋式醤油(洋醤)と呼ばれ、その後現在日本を代表するソースメーカーである錨印ソース(現在のイカリソース)が1896(明治29)年に、犬印ソース(現在のブルドックソース)が1905(明治38)年に発売される。西洋料理が日本人の味覚に合うよう洋食として工夫され、日本食になっていくのと同様に、ウスターソースもイギリスのそれと少しずつ違い、塩味が少なく甘みが多く、ややとろりとした粘度の日本的なウスターソースへと進化していったのだった。

様々なソースの誕生

洋食が人気を博し、日本食の一ジャンルとして定着していく中で、カツレツはとんかつとして人気メニューとなっていく。そのパートナーとしてのソースは、ウスターソースだけではなく、徐々に様々なソースが誕生していく。洋食人気と相まって、ソースを使ったものは洋食と呼ばれ、お好み焼きのルーツとされる一銭洋食は、小麦粉にネギなどの少しの具にウスターソースで味をつけることで子供たちにも駄菓子的なものとして人気を博し、ソースの味が定番の調味料として定着していった。

お好み焼きの元祖「一銭洋食」
お好み焼きの元祖「一銭洋食」

現在ではウスターソース、中濃ソース、とんかつソース、お好みソースなど、用途に合わせた様々な種類があるが、実はソースカツ丼のソースはどのソースとも少し違ったものになっている。

ソースカツ丼の味の決め手として、カツの美味しさもソースの美味しさもそれぞれ大事だが、それ以上にどんぶり飯としてのバランスが大切で、いかにご飯を美味しく食べられるか、ということがその完成度に大きく関係していると言えるだろう。

和と洋の融合した日本的洋食

ソースカツ丼エリアのカツ丼のソースは、醤油や砂糖などの甘み、だしやスープなどをブレンドしている。これらのソースは極論を言えばソースだけでもご飯が食べられる。カツと合わさることで、よりおいしく食べられるが、お米との相性を考えつくされていると感じさせられる。

ご飯に合うソースカツ丼のソース
ご飯に合うソースカツ丼のソース

卵とじのカツ丼はジャンルで言えば和食に分類されるだろうが、ソースカツ丼は普通に考えれば洋食のジャンルだと言える。ところがソースに和風の要素をブレンドされることで、米との相性が抜群となるソースカツ丼はいわゆる洋食の枠をはみ出しているのではないだろうか。

牛丼や親子丼、卵とじカツ丼など、すでに外国人からの評価をされている和食のどんぶり同様、地域に根付くソースカツ丼の魅力は、和と洋の融合した日本的洋食として、多くの外国人にも是非知ってもらいたい食文化である。

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