知れば知るほど面白い日本の食文化にまつわる豆知識。
あなたはご存じでしたか?
食文化クイズ⑨
【ぜんざいの歴史】
Q 東京ではなぜ「ぜんざい」を「田舎汁粉」と呼ぶのでしょうか?
写真提供:出雲ぜんざい学会
A 江戸には汁なし神在餅が古くから存在していたため。
「ぜんざい」は」出雲発祥と言われています。旧暦10月は神無月。全ての神様が出雲に集まり、地元を留守にするからです。このとき出雲は神様で大賑わいするので「神在(かみあり)月」です。集まった神様たちが食べたのが小豆とお餅だったので「神在(じんざい)餅」と呼ぶようになりました。これが「ざんざい」に変化して現在に至っています。ではなぜ東京では「ぜんざい」という由緒ある呼び名を捨てて「田舎汁粉」などというようになったのでしょうか。
明治33(1900)年に出版された「東京風俗志」(中巻)に「汁粉屋」と題してこんな記述があります。
「汁粉屋は、京阪のいわゆる善哉(ぜんざい)餅屋なり。(略)その品類の多かるは、蕎麦(そば)に下らず。普通なるは御膳汁粉、田舎汁粉とす。御膳は餡(あん)を漉(こ)したるもの、田舎は潰し餡なるを異にす」
御膳と田舎はこしあんか小豆の粒が残ったつぶしあんかの違いであると言い、いまも東京の甘味屋ではこのように分けてメニューにのっています。
しかしこの記述では、なぜ田舎汁粉と呼ぶようになったかはわかりません。京阪のぜんざいを知っていながらあえて汁粉と命名したのかも不明です。
謎を解くカギを「南総里見八犬伝」を書いた江戸後期の戯作者、曲亭馬琴の日記に見つけました。
天保5(1834)年の暮れのこと。「二十一、二十二日と、親類や地主の家から餅を搗(つ)いたからといって神在餅、汁粉餅などを持ってくる」と書き残しています。別の日の日記には「神在餅をお重で親類などに配った」とあるので神在餅は汁ものではなかったことがわかります。
そうです。江戸には京阪とは違う汁なし神在餅が古くから存在していたので、汁物である京阪のぜんざいと同じ呼び名にできなかったのです。この江戸のぜんざいは東京の老舗甘味屋で健在です。お餅にあんこがのっただけのものです。馬琴が正月に食べた神在餅の姿を今に伝えています。
それにしても「田舎」とは……。