えっ、ホルモンはどこ?
岩手県岩泉町のご当地グルメはホルモン鍋。地元で食べてみようと店に入ると、出てきた鍋にはキャベツとねぎ、そして豆腐で埋め尽くされていた。たれに漬け込まれたホルモンは、一番下に隠れていて、野菜から水分が出てしんなりしてくると、やっとホルモンが顔をのぞかせる。これにコショウをかけて食べるのが岩泉スタイルだ。
ホルモン鍋は鉱山の食
ホルモン鍋など、内臓肉を使った料理は鉱山と深い関わりがあることが多い。岩泉町の小川(こがわ)地区も、かつては石炭や耐火粘土の採掘で知られる炭鉱町だった。鉱山の町にホルモン料理が多いのは、坑道の中での労働が過酷だったため、安くて栄養のあるホルモンがスタミナ源として好んで食べられていたから。さらにその背景には、かつて鉱山では、長い肉食文化を持つ朝鮮半島からやってきた人たちが多く働いていた歴史がある。
岩手県から秋田県、青森県にかけて広がる旧南部藩地域には鉱山が多く、山ごとにそれぞれぞれのホルモン鍋がある。興味深いのは、その多くに、ホルモンを圧倒するほどの大量の野菜と豆腐が入っていることだ。
写真は、金山があった盛岡市玉山地区のホルモン鍋。鉄鍋には、山盛りのキャベツと豆腐しか見えない。玉山のホルモン鍋は、つけだれのホルモンも水分が非常に少なく、野菜の水分だけを頼りに煮込む鍋料理だ。水分が少なくても焦げ付かないのは、それだけキャベツが大量に入っている証拠だ。
大量のキャベツ、豆腐を入れて
大量のキャベツは、この一帯がキャベツの一大産地だったことが背景にある。盛岡市の北にある岩手町は、戦前からキャベツ栽培が盛んで「南部甘藍」は、当時を代表するブランドキャベツで、国内はもちろん、中国や台湾にまで輸出されていた。
一方、豆腐も近隣地域では欠かせない食材だ。岩手県北に行ったときは、ぜひスーパーの豆腐売り場をのぞいてみてほしい。一丁の大きさが、東京とはまるで違うことに驚かされるはずだ。鍋料理はもちろん、鉄板焼きにも豆腐は不可欠で、久慈のジンギスカンは、羊肉に豆腐が添えられている。
豆腐をたくさん食べる背景にあるのは「塩の道」の存在だ。米が豊かな宮城県から岩手県南にかけての旧伊達藩に対し、山がちで夏の気候が冷涼な旧南部藩地域は米づくりに適さなかった。そこで、年貢米に代わり、塩を年貢として納めていた。藩都の盛岡はご存じの通り内陸の地。そこで、三陸の野田村で塩を作り、それを北上山地を越えて盛岡に運んだ。北上山地は非常に険しく、馬では急斜面を上れず、運搬には牛が使われた。「牛歩」では、盛岡までには時間がかかる。製塩技術が未発達の当時、生乾きのまま俵に詰められた塩からは、長い旅の間に水分が染み出る。この水分こそ、豆腐を固めるにがりだ。どこでも育ちやすい大豆に加え、にがりが身近に手に入るとなれば、豆腐をよく食べるのは自然な流れだろう。
牛は家族
そして、実は、この塩を運んだ牛こそが、岩泉炭鉱ホルモン鍋はじめ、近隣地域のホルモン鍋の個性の源になっている。「南部牛追い歌」に歌われたように、牛はこの地域の暮らしには欠かせない大事な使役動物だ。南部の人たちは、厩(うまや)を母屋に併設した「曲り家」で、馬や牛など使役動物と一緒に暮らしていた。使役動物は家族も同然なのだ。
九州・筑豊のホルモン鍋をはじめ、朝鮮半島にそのルーツを持つホルモンは、牛がメインだ。しかし、南部のホルモンは豚ホルモンなのだ。岩泉炭鉱ホルモン鍋には、鶏の正肉も入る。現地のお年寄りに話をうかがったところ、牛は家族であり、その死後はていねいに葬ったという。「べこ」は食べず、家畜として導入された豚のホルモンを鍋にするのが、南部地域のホルモン鍋の最大の特徴と言える。