夏を代表する魚のひとつ、すずき。最初はせいご、2~3歳でふっこ、4歳以上ですずきと呼び名が変わる「出世魚」で、白身の淡泊な味わいで、古くから高級魚として食べられてきた。東京湾など主に内湾で獲れることから、都市化による汚染で質が低下したこともあった。しかし、すずきを生業とする漁師たちの努力が実り、近年、再び高級魚として流通するようになっている。
そんなすずきを日本で一番水揚げしているのが、千葉県の船橋漁港。船橋と言えば、都心から電車で30分ほど、人口60万人超を要する首都圏でも有数のベッドタウンでもある。つまりは、大都会のすぐそばで、高級魚が盛んに水揚げされているということだ。同じ千葉県でも、魚のまちとして知られる銚子や勝浦などとは違い、一般には船橋に漁港のイメージは薄いだろう。そんな船橋で、日本一を誇るすずき漁がどのように行われているのか。江戸時代より脈々と続く日本の魚食文化を培ってきた魚河岸の目利き文化の維持発展のための啓蒙活動を行なう築地目利き協会が主催するツアーに参加、船橋のすずき漁を間近に見せていただいた。
今回漁を見学させていただいたのは、大野和彦さん率いる大傳丸。その漁法は、巻き網漁法だ。大型の網を円形に広げ、すずきを群れごとすばやく包み込むようにして獲る漁法。2艘の船で群れを囲むように網を仕掛けた後、網の底を絞り袋状に。そして網を引き上げ、群れごと一気に捕獲する漁法だ。夜行性のすずきの生態から、本来は夜に出港し、夜通し操業、夜明けとともに水揚げすると言うが、この日は見学者に合わせて、早朝に網を仕掛けていただいた。
船橋港は、海老川河口に位置し、隣はショッピングセンターのららぽーとだ。岸壁から眺める風景は「漁村」のそれとはほど遠い。まさに都会の真ん中の漁港だ。ここから、JR京葉線や東関東自動車道路などをくぐり、東京湾へと船を進めていく。港を出ると、海岸線に沿って東へと進む。船の左手には幕張新都心のビル街も見えてきた。最大で1メートル、10キロにもなるというすずきだけに、それなりの沖合で操業するものと思っていたが、幕張のマリンスタジアムがはっきりと見える沿岸で、巻き網漁が始まった。
すずきの群れを見つけたら、目印に旗を投げ込む。2艘の船は、その目印を大きく囲むように円を描きながら網を張っていく。ゆっくりと網を広げ、最後には2艘の船が接近し、網をすぼめていく。2艘の船が網を引いていると、大きく海面に描いた円が少しずつ小さくなっていく。大きな円だけに、すぼめるのにも時間がかかる。
網がすぼまってきたら、付近で待機していた運搬船が、2艘の漁船に近づいてくる。いよいよ水揚げだ。網の上にはすずきがいっぱいだ。クレーンの大きなたも網で、すずきを運搬船へと運んでいく。たもから下ろされたたくさんのすずきが、元気に甲板で跳ね回る。それを乗組員たちが集め、船内のいけすへと運び込んでいく。
漁場はマリンスタジアムの声援まで聞こえてきそうなほどの近海だ。下処理は陸上で行われる。船橋港に戻ると、すぐさま活け締めが始まる。この活け締めこそが、東京湾の水質劣化で高級魚の地位を陥落しそうになったすずきを蘇らせ、さらには従来以上に質を高めることになった技法だ。船橋港では、これを「瞬〆」と呼んでいる。
魚は暴れながら絶命すると、体内に疲労物質である乳酸が蓄積し、鮮度が落ちてしまう。そこで、船から陸揚げされたすずきは、いけすで生きたまま高級料亭に運ばれる極上ものを除いて、その場で活け〆される。えらから包丁を入れ、尻尾の付け根にも大きく切れ目を入れる。これで、すずきは絶命することになる。〆られたすずきは水に浸され、血抜きが施される。しかし、これだけでは「瞬〆すずき」とはならない。
生き物は、命を失うとともに死後硬直が始まる。身をくねらせて泳いでいた魚も、絶命すれば棒のようにかちかちになってしまう。それを遅らせるために、船橋港では血抜きしたすずきから圧縮空気を使って神経を抜き去る処理を施している。「ぷしゅっ」と言う空気音とともに、えらの間から抜かれた神経が飛び出してくる。こうすることで「死んだこと」が魚体の隅々にまで伝わらなくなり、死後硬直が遅くなり、長く鮮度を保つという。
漁の見学の後、船橋港近くで大野さんが経営する料理店「一志」で、船橋の瞬〆すずきをいただいた。美味しくいただくには、「瞬〆」の後熟成も必要とのこと。「瞬〆」処理したすずきは、鮮度が長く保てるため、熟成期間も長くとれるという。まずは海鮮丼の刺し身のひとつとして瞬〆すずきをいただく。
元禄年間、貝原益軒が著した辞書「日本釈名」によれば、「その身白くて”すすぎたる”ように清げなる魚なり」と記されたすずき。血合いの少ない、すすぎ洗いしたようにきれいな身からその名が付いたという。確かに見た目にも美しく、食べれば淡泊で、すがすがしい。まさに夏の味だ。
驚かされたのが、天ぷらだった。すがすがしい身は、加熱してなお、くせを発しない。見事なまでに上品な白身だ。そしてさらに、抜群に優しい歯触りも生む。決して加熱して身がグスグスになっているわけではない。しっかりその形を保ちつつ、そこに「すっ」と歯が入っていく。絶妙の食感だ。「瞬〆」というだけに、鮮度を生かしての生食がベストだと思い込んでいた先入観が一変した。大都市・船橋で、これほどまでに上品な白身魚が食べられるというのが、新鮮な驚きだった。
海の環境変化を乗り越え、時代を超えて伝統漁法を守り抜いたこともあり、大野さんは漁業のサステナビリティー(持続可能性)にも造詣が深い。「いかに少なく取ってそれを稼ぎにしていくか」にこだわる。漁獲量を増やせば収入は増えるが、価格の低下も招き、乱獲は資源の枯渇にもつながる。「瞬〆」だけでなく、トレーサビリティーシステムも導入し、魚の「血統」を証明することで価格を維持・向上させる取り組みも進める。
食材の善し悪しをきちんと見定められる料理人とも協業、さらには子供たちに魚の本当の美味しさを覚えてもらおうと、学校給食やこども食堂への食材の提供にも取り組む。生分解性の漁具や、回収して使い回せる魚箱の導入にも力を注ぐ。漁業や農業などの一次産業は自然と共生してはじめて成り立つ産業だ。自然の豊かさを守り、そこに人間の知恵でひと手間かけることで、食材はより美味しくなり、文化としても事業としても発展し、持続可能になる。船橋の「瞬〆すずき」は、その象徴とも言える存在なのだ。