全国各地のご当地グルメには、その土地の暮らしぶりが映された食べものが多いことは、この項でも何度となく紹介してきた。三重県の伊勢地方で食べられている伊勢うどんもやはり周辺地域の暮らしぶりから誕生し、さらには伊勢神宮への「おかげ参り」の文化がそれに拍車をかけた食べものだ。
伊勢うどんとは、太くて柔らかいうどん麺をだしの効いた黒いつゆというかたれをかけて食べる料理だ。そもそもは、今から400年ほど前に、農耕食として誕生したという。以前に紹介した埼玉県川島町のすったてもやはり農地で食べるために誕生したうどんだが、あらかじめ茹でておいたうどんにたれなどをかけて食べる方法は、自宅で調理して持参し、農地で食べるのに適している。
諸説あるが、伊勢うどんも同様に、自宅から持参したうどんに、食べる直前に味噌だまりをからませて、農地で食べたのがルーツだという。その太さは、伸ばす手間をあまりかけずに麺を打つために誕生したそうだ。手間がかからず、短時間で食べられるその調理法は、江戸時代以降「おかげ参り」によって、多くの人が伊勢神宮に押し寄せるようになると、参拝客に手早く提供できる料理として、さらに広がることになる。独特のコシのない柔らかい食感は、次々と押し寄せる参拝客のため、常にうどんを茹で続け、必要量だけ釜揚げしていたことに起因するという。その場ですぐに調理でき、立ってでも食べられるというその特色は、いわば江戸時代のファストフードといった感覚だろう。
実は「伊勢うどん」という呼び名の歴史は非常に浅く、1972(昭和47)年に伊勢市麺類飲食業組合が統一名として定め、組合員向けの献立表に記載するようになってからだという。それまでは、単に「うどん」と呼ばれていた。命名のきっかけは、永六輔氏。昭和40年代のはじめ、このうどんを食べた際、「伊勢の珍しいうどんなので『伊勢うどん』と呼んではどうか」と言ったからとか。今では伊勢神宮の参道に並ぶ店をはじめ、伊勢市周辺の地域にもその呼び方が広がっている。
実際に伊勢を訪れ、伊勢うどんを食べてみよう。最もシンプルな伊勢うどんは、うどんにたれをかけ、薬味を添えただけのもの。麺は非常に太い。一般的なうどんの2倍はあろうかという太さだ。とはいえコシが弱いため、太くても食べやすい。コシの強い讃岐や富士吉田のうどんだったら、この太さでは食べにくいはずだ。
薬味もねぎだけが最もシンプルなパターン。そこに削り節をのせたりもする。具はあまりのせないのが一般的なようだ。のせたとしてもかまぼこやちくわなど手間のかからないものが、より伊勢うどんらしさを引き立てる。生卵などもやはりシンプルな具と言えるだろう。
実際に伊勢を訪れ、伊勢うどんを食べてみよう。最初に訪れたのは、伊勢うどんの老舗「ちとせ」だ。実はここのお店が、永六輔氏が「うどん」を食べ、伊勢うどん命名のきっかけになったと言われている。近鉄宇治山田駅から歩くこと5分あまり。老舗らしく、古ぼけた木造の店舗が歴史を物語る。
「ちとせ」では肉月見伊勢うどんを注文した。予想に反してどっさりと盛られた牛肉が豪華だ。肉の山に生卵が脇に追いやられている。それにしても肉月見の下のうどんの汁たるや、まさに「真っ黒」と呼びたくなる色合いだ。
秘伝のたれは時間かけてじっくりとだしをとった上で、火を落として長時間寝かせるという。その後で、たまりじょうゆを合わせ、1時間ほど煮詰める。これで終わりではない。さらに3日間寝かせて味を馴染ませるのだという。想像を絶する手間のかけ方だ。これほどまでの長い時間と手間を経て、この「漆黒」が誕生するのだ。
「たれ」と呼ぶべきか「つゆ」と呼ぶべきか迷うその色と量だが、たれとしてはそれほどしょっぱくはない。一方で、つゆと呼ぶには、飲み干すのは避けたくなる味の濃さであることは間違いない。凝縮されただしのうまみと香りがわっと広がる味だ。
麺は伊勢うどん特有のコシの弱さ、というよりコシのなさだ。麺にたれを絡ませるためにかき混ぜると、あっという間にうどんも黒くなる。明確に麺がたれを吸っている。それほどまでに柔らかいのだ。歯がなくても噛み切れることは間違いないだろう。
一方で、近鉄宇治山田駅の隣、伊勢神宮外宮の最寄り駅である近鉄伊勢市駅から徒歩5分ほどの場所に店を構えるのは、大正12年創業、「ちとせ」と並ぶ伊勢うどんの老舗「まめや」だ。「まめや」最大の特徴は手打ち。製麺所から麺を仕入れる店が多い中にあって「まめや」では毎日、その日売る分を手打ちするという。手打ちというとコシの強さを思い浮かべるが、伊勢うどんに関しては別のようだ。コシは「ちとせ」を上回る弱さだ。麺を引き上げようと箸でつまむだけで切れてしまうほどだ。
たれは旬に仕入れた宗田ガツオとムロアジからだしをとり、自家製麺に合わせて地元産のたまりじょうゆをブレンド。「ちとせ」同様、時間をかけてだしとしょうゆをなじませる。
「まめや」で注目は、伊勢海老うどん。価格は「時価」。この日は3500円だった。「せっかく伊勢まで来ていただいたのだから、伊勢名物をいっぺんに楽しんでもらいたい」との思いで誕生したという。伊勢うどんの上に伊勢海老の天ぷらが鎮座している。伊勢うどん特有の黒さを見失うほど、丼を天ぷらが覆い尽くす。
鮮度抜群の伊勢海老はぷりっぷりの食感だ。一方で、その下のうどんはやわやわ。笑ってしまうほど真逆の食感だ。手間暇かけないことで手軽に食べられることを目的として誕生した伊勢うどんが、手間暇かけた高級食材とドッキングしているのだから、なかなか興味深い。伊勢の名物を1食でという向きには、一度試してみる価値はありそうだ。