浜松は、スズキやヤマハなどが本拠地とする工業都市で、ホンダも同地で創業している。工場が多いまちには、そこで働く人々の暮らしぶり、食生活を反映したご当地グルメが生まれやすいが、浜松も例外ではなく、全国的には餃子のまちとして名高い。宇都宮市と例年、熾烈な「日本一」を競い合ってきたが、今年2月に発表された2021年の家計調査では、両市を抑えて、宮崎市が、餃子への年間支出金額ナンバーワンになったことが大きな話題となった。
餃子の歴史は古く、日本で初めて餃子を食べたのは「水戸黄門」で知られる水戸藩の徳川光圀といわれており、日本人には非常になじみ深い中国料理の一つだ。しかし、現在のように国民食と呼ばれるまでに普及したのは、主に終戦後だ。中国東北部・旧満州から引き揚げてきた人々が日本に持ち帰り広がったとされる説が有力だ。
そもそも中国では水餃子が一般的だ。焼き餃子は、貧しい人々が食べ残した水餃子を焼いて温めなおして食べたのがルーツといわれ、主に東北部での食べ方といわれる。現地でその味を覚え、日本に戻った人々が、戦後の混乱期、手間も材料のない中で、より手軽に調理できる焼き餃子で飲食業を始めて広がったとされる。また、日本ではご飯と一緒に食べるスタイルが広がり、本場の厚めの皮は、薄くなっていったという。
では、浜松餃子の定義とは何か。餃子の振興・普及によって浜松市の魅力を全国に発信するまちづくり・まちおこし団体、浜松餃子学会によれば「3年以上浜松に在住し、浜松市内で製造されている」ものを浜松餃子と定義する。戦後の混乱期に普及したことから、各地で手に入りやすい食材で餃子を作るようになったが、浜松の場合、市内もしくは隣の愛知県で豊富に作られていたキャベツ、地元名産のタマネギ、養豚が盛んだったことから豚肉が主原料となった。
そして、浜松餃子のアイデンティティーとも呼べるのが円盤型にする焼き方だ。戦後の混乱期に登場した浜松餃子の多くは、屋台で提供された。限られた調理スペース、調理器具で餃子を焼くのに最も適していたのがフライパンだ。水を加えて蒸しながら焼く餃子には鉄板は適さない。そこで、フライパンの縁に添って円形に餃子を並べて焼くスタイルが確立した。
フライパンに円盤型に餃子を並べると、真ん中にぽっかり穴が空いてしまう。この穴をどうするかが次なる課題となった。刺身のつまよろしく餃子に合う何かをここに添えようと考えられたのがもやしだ。浜松は養豚が盛んなため、餃子を焼く油もラードだ。焼き面がカリカリになる半面、どうしても脂っこくなる。これをもやしでさっぱりさせることで、より餃子が美味しくなった。
では実際にまちに出て、浜松餃子を食べてみよう。最初に向かったのは、1953年に浜松駅前で創業、70年近い歴史を誇る人気チェーン「石松餃子」。特にこだわっているのはキャベツだ。季節によって産地を変え、常に甘味のあるキャベツを厳選して使用する。このキャベツへのこだわりが、ラードを使いながらもあっさりと食べられる味の秘訣だ。
豚肉は、キャベツとの相性を優先して仕入れるという。臭みの少ない部位を使うことで、具材のうまみを引き出す。皮は、なめらかでもちもち感のある、やや薄めのものを使う。この皮であんを包んでカリッと焼き上げる。
たれは、西日本スタイルの餃子のたれだ。東日本では、酢と醤油を自分の好みで混ぜて餃子を浸して食べることが多いが、「石松餃子」では、最適の配合のたれを用意する。これに好みでラー油を加えて食べる。
注意しておきたいのは、注文する際の餃子の個数だ。メニューには10個から15個、20個と腹具合に合わせて餃子の数を選べるが、浜松餃子ならではの円盤型は20個からだ。最初に「石松餃子」を訪れた際、1列5個が二段積みになった餃子が運ばれてきて「しまった!」と膝をたたいた。せっかく浜松まで来たからには、本場の浜松餃子を食べるなら、やはり円盤型で食べてみたい。
もう1軒、今度はいかにも地元密着のお店を探して食べに出かけた。「むつ菊」は、遠州鉄道助信駅の近く、住宅街にぽつんとたたずむ小さなお店だ。知る人ぞ知る名店で、あらかじめ予約をして行ったが、店に着くと扉には「本日は予約のみで品切れ、終了」の張り紙が掲出されていた。予約しておいて正解だった。
店内はカウンターのみ。メニューも潔い。なぜか味噌焼きホルモンだけが餃子以外に用意されていたが、1人前10コ、中15コ、大20コ、特大26コの餃子しかない。飲み物もビールとお酒、そしてガラナの3種類のみ。味噌焼きホルモンとガラナがどう、餃子と関係しているのかが興味深かったが、それはさておき、餃子に集中しよう。
注文したのは、大20コとビール。待つことしばし、見事な円盤型の餃子が登場した。もやしもたっぷりだ。たれは「石松餃子」と同じ、ぎょうざのたれとラー油のみだ。ラードらしい焼き面のカリカリ感が絶妙だ。このカリカリ感は、これまで経験したことのない心地よさだった。
不思議だったのは、ゆでもやしがのった部分、円盤の周囲から食べ始めるので、中心部に到達するまでには時間がかかる。しかも、その上にはもやしの水分もある。なのに、中心部に到達した際も、焼きたてとあまり変わらないカリカリ感なのだ。これには驚かされた。あんの味わい、柔らかさも絶妙。ソフトな食感は、皮のカリカリと見事なコントラストを描く。これまで食べてきた餃子の中で最も美味しかった。個人的な感想ではあるが、そう思った。
先に紹介した浜松餃子学会は、B-1グランプリにも出展するなど、浜松餃子を旗印にしたまちの魅力発信に余念がない。宇都宮との積年の争いも「浜松=餃子のまち」のイメージを広く浸透させた。東京などでも浜松餃子をメニューに掲げる店を見かけるようにはなった。とはいえ、これだけ衝撃的な餃子を食べてしまうと、やはり「浜松まで足を運んで餃子を食べるべし」と思ってしまうのは、私だけだろうか。