ご当地餃子と言えば、宇都宮市や浜松市が有名だが、東京・大田区の蒲田も餃子のまちとして広く知られている。今では、冷凍食品の餃子でも羽根つきが人気商品になっているが、そんな羽根つき餃子人気のルーツになっているのが、この蒲田の餃子だ。
品川から横浜までJR東海道線と並行して走る京浜急行線。川崎・横浜間はほぼ併走するものの、品川から川崎までの間は京浜急行線がやや海側に離れて走っており、その間隔が特に広がっているのが大森から蒲田にかけてだ。しかし、蒲田は区役所もある大田区の中心街。京急蒲田駅からJR蒲田駅までの間に、広大な繁華街が形成されている。蒲田餃子の人気店はほぼこのエリアに集中している。
宇都宮や浜松が、市内に広く人気店が分散してるのに対し、蒲田は、同じ餃子のまちでありながら、ごく限られたエリアに人気店が集中しているのが特徴だ。そのため、徒歩で食べ歩きできる点が、他の餃子のまちとの大きな違いとなっている。
蒲田の餃子御三家と呼ばれているのは、羽根つき餃子の元祖と呼ばれている「イ尓好(ニーハオ)本店」、そして「歓迎(ホァンヨン)本店」、「金春(こんぱる)本館」だ。興味深いのは、3店ともオーナーが姻戚関係にあり、他の人気店も同じく親戚のお店だったり、御三家で修行を積んだ人の経営だったりすることだ。しかし、チェーン店ではなく、それぞれが独立して店を構えている。
実は蒲田の餃子の歴史は浅い。元祖と言われる「イ尓好本店」の開店が1983年。他の「餃子シティー」の多くが、中国東北部・旧満州からの引き揚げ者が戦後に持ち帰って地元に根付かせたのに対し、「イ尓好本店」の創業者は中国残留孤児だ。日中国交回復が72年なので、戦後30年近くを経てから誕生したご当地餃子ということになる。
麺文化に現れているように、中国では、小麦粉を主食として食べる地域が多い。なので、本場・中国の餃子は皮が厚めで、腹持ちがいい。これに対し、旧満州からの引き揚げ者たちが日本に持ち帰って提供し始めた餃子は、米を主食とする日本の食習慣から「ご飯のおかず」として、皮が薄くなっていった経緯がある。こうした歴史の違いから、蒲田の餃子は皮が厚めで、もちっとした食感も特徴になっている。
また、日本の餃子は焼き餃子がメインだが、中国では水餃子で食べるのが基本。そのため、蒲田の各店では、羽根つき餃子が人気ではあるものの、メニューには水餃子のバリエーションが多くなっている。
元祖店「イ尓好本店」の創業者も、中国では水餃子に親しみ、日本に帰ってきてから焼き餃子に目覚めたという。そんな日本流の焼き餃子への新鮮な驚きが、焼き面のクリスピーさを強調すべく、水溶き小麦粉を最後に流し入れ、パリパリ感を強調する羽根つき餃子につながったのだろう。
さっそく「イ尓好本店」の羽根つき餃子を食べてみよう。これぞ羽根つきといわんばかりに、面積の広いシート状の羽根が焼き面に張り付いている。このパリパリ、カリカリ感こそが焼き餃子の真骨頂だ。香ばしい味わいが冷えたビールを口に入れることを催促する。ただし、たれをつけてかぶりつくと、皮がけっこう厚い。腰の強いうどんのように、グルテンの粘りが歯を跳ね返すように受け止める。
水餃子になると、そのもちもち感がいっそう高まる。今回はニンニクだれがかかった水餃子をいただいた。焼き餃子とはまた違ったおいしさが味わえる。かなりニンニクが効いたたれが後を引く。焼き面の香ばしさがないにもかかわらず、この強烈なたれの味がまた、ビールを呼ぶのだ。
皮の食感を最も楽しめたのが蒸し餃子だ。お湯の中でゆでるのとは、明らかに違った食感になる。もちもち感がさらに高まるイメージだ。餃子の皮が本来持つ食感を堪能するには、蒸し餃子が最適かもしれない。
さらに、皮の食感を最大限楽しみつつ、香ばしさも同時に味わいたいなら、揚げ餃子という選択肢もある。写真は「金春本館」の揚げ餃子だ。焼き餃子の一面だけの焼き面とは違い、皮表面の水分を揚げ油が奪う形で、餃子全体がかりかりになる。しかし、クリスピーなのは表面だけだ。そこから歯を入れると、水餃子や蒸し餃子で味わった、あのもちもち感が伝わってくる。
蒲田では、「イ尓好本店」の餃子をベースに、各店それぞれが個性を発輝した餃子を提供する。例えば「歓迎」の羽根つき餃子の羽根はやや控えめだ。そして、各店とも餃子以外のメニューも豊富で、本格的な中華料理が揃っている。宇都宮や浜松では、ストイックなまでに餃子しか出さない店が多いのとは対照的だ。あくまでも、中華料理がその根底にある。
蒲田餃子の人気は高く、各店とも別館や新館などといった感じで、席数を増やし、押し寄せる多くの餃子ファンを受け入れている。餃子のバリエーションも豊富、そして餃子以外の中華メニューも盛りだくさんとなると、どうしてもあれこれ食べたくなる。訪れる際には、ぜひ大人数でシェアしながら食べる、という楽しみ方をおすすめしたい。