うなぎは庶民の味 津のうな丼

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うなぎと言えば、ハレの日の食の代表格のひとつ。高級食材のイメージだが、常日頃から、ラーメンのようにうなぎを食べるまちがある。三重県の県庁所在地である津だ。

「新玉亭」のうな丼 手前から時計回りに並盛、中盛、大盛
「新玉亭」のうな丼 手前から時計回りに並盛、中盛、大盛

津は、築城の名手として知られる藤堂高虎が初代藩主をつとめた津藩の城下町。海に面し、平野もあり、水に恵まれていたため、水田も多く豊かな藩で、伊勢湾に面し、かつては対岸の三河同様、うなぎの名産地として知られていた。藤堂家は、藩士たちに地元の名物であるうな丼を食べて精をつけ、つとめに励むよう奨励した。そうした歴史から、津では、普段からうなぎを食べる文化が根付いた。

蒸さない地焼きならではの皮のカリっとした食感も魅力
蒸さない地焼きならではの皮のカリっとした食感も魅力

津のうな丼の最大の特徴は、価格の安さと盛りの良さだ。とにかく安くて食べ応えがある。そんな津のうなぎ屋の中でも、特に盛りの良さで知られる「新玉亭」を訪ねた。

「新玉亭」の大盛は、テレビや雑誌などでも有名な超大盛りだ。炊きたてご飯にたっぷりとうなだれをまぶしながらそびえたつように山盛りにする。そのうえで、空のどんぶりを上からかぶせて押し固める。どんぶりを重ねたまま何度かたたくと、美しく押し固められた超山盛りのご飯ができあがる。その上に焼きたてのうなぎをのせれば完成だ。

テーブルに運ばれてきた「新玉亭」の特上丼大盛
テーブルに運ばれてきた「新玉亭」の特上丼大盛

見た目はまるでチャレンジメニューだが、実はそこに津の食文化が反映されている。「新玉亭」の杉本浩也社長に話をうかがう。

かつては、津にもうなぎの養殖池がたくさんあり、養鰻業が盛んだった。身近に手に入りやすい食材だったこともあり、津市には20軒以上のうなぎ屋がある。一時は、愛知県の三河地区としのぎを削るほどの生産量を誇ったが、伊勢湾台風で養鰻業が壊滅的な被害を受け、津市内での養鰻は衰退してしまった。

腹から開き、長いまま串を打ち、蒸さずに炭火で焼く
腹から開き、長いまま串を打ち、蒸さずに炭火で焼く

調理法は、関西風の腹から開き、長いまま串を打ち、蒸さずに炭火で焼く「地焼き」。地焼きは脂が落ちにくく、皮の焼き目もぱりぱりに仕上がる。ただし、関西とは違い、頭は落としてから焼く。

山盛りご飯の中には、実は1切れうなぎが潜んでいる
山盛りご飯の中には、実は1切れうなぎが潜んでいる

たれにもこだわる。「新玉亭」は、ちょっとからめが持ち味だ。1度火を入れたたれを1週間寝かせ、その日減った分だけ継ぎ足して使う。明治23年の創業以来の貴重なたれだ。

山盛りのご飯に自慢のうなだれをたっぷりとまぶす
山盛りのご飯に自慢のうなだれをたっぷりとまぶす

「新玉亭」名物の大盛は、先代の頃、30~40年前から始めたという。うなだれご飯のおいしさが人気で、たれご飯だけをおかわりして食べていた常連客が「面倒くさいので一緒に盛ってくれ」とリクエストしたのがはじまりだとか。

どんぶりを上からかぶせて押し固める
どんぶりを上からかぶせて押し固める

驚くほどの山盛りは人気になったが、一方で、「一度見てみたい」と注文し、ご飯を残していく人も増えてしまった。食べ残しは、折りを購入し、持ち帰ってもらうようにしていたが、それもいかがなものかという声が上がり、5年ほど前に、一時提供を中断した。

ご飯の山が固定したら、そこへさらにうなだれをまぶす
ご飯の山が固定したら、そこへさらにうなだれをまぶす

しかし、本当に好きな、食べたいというリピーターから懇願され、一度中盛を食べ切った人に、それを証明する木札を購入してもらい、その木札を持参した人に限り注文できるようにシステムを改めた。ちなみに、「大盛札」の材料は三重県産のヒノキで、木札の購入代金は全額、日本のうなぎを育てる会に寄付している。

最後に焼きたてのうなぎをのせる
最後に焼きたてのうなぎをのせる

当初1000枚も出ないだろうだろうと予想していた「大盛札」は、現在までに4700枚も発行したという。ただし、大盛の注文は、平日で1日1杯、週末でも2杯ほど。さすがに食べ切れる人は限られるという。並盛りでもご飯は350~360グラムほどの盛りなので、中盛ですら1日20杯ほどだそうだ。

「新玉亭」の大盛札
「新玉亭」の大盛札

「新玉亭」に限らず、津ではこの量が一般的で、地元客は「ご飯少なめで」と言う注文も多いという。

接待需要などから現在ではうな重やひつまぶしもメニューに加えているが、津のうなぎはやはりどんぶりで食べるものだという。どんぶりだからこそ、がっつり食べたい。「せっかくうなぎを食べてもらう以上、満足しもらわないと」と杉本社長は語る。

「新玉亭」の特上丼、大盛の完成
「新玉亭」の特上丼、大盛の完成

価格も庶民的だ。うなぎがご飯の上に4切れとご飯の中に1切れ、合計5切れの特上丼でさえ3050円だ。東京では5000円ほどはするだろうか、うな重も3300円という価格設定。採算的には厳しいが「津の人々はうなぎを愛していて、ソウルフードとして食べている」(杉本社長)以上、価格は大きく上げられないという。

かつてうな丼がもっと安かった頃、津では、ラーメンよりうなぎを食べる回数が多かったほどだという。何より驚かされたのは、津の大学生はコンパをうなぎ屋で開催するという。現在はコロナ禍で宴会自体が少ないが、例年なら、年2回程度、60~70人単位のコンパの予約があるという。津でうなぎは、それほど身近な食材なのだ。

特上丼でさえ3000円、小丼なら1000円でおつりがくる
特上丼でさえ3050円、小丼なら1000円でおつりがくる

うなぎ離れをくいとめようと、1000円を切るメニューも用意する。うなぎ1切れの小丼は、何と850円だ。

元々は肝吸い付きだったが、肝は嫌いと残す人もいるため、基本は肝の入らない吸い物付きとし、1杯100円の追加で肝吸いに変えられるようにした。それで捨てずに済んだ肝は、好きな人のために肝焼きにした。さらにはうな肝丼も作った。以前は限定メニューだったが、現在はレギュラーメニューになっている。多くの人に、喜んもらいたい、たくさん食べてもらいたいというサービス精神が、随所に溢れている。

プラス100円で肝吸いに
プラス100円で肝吸いに

それは店のつくりにも表れている。うなぎ屋というと和風の木造家屋をイメージするが、津ではたいがいビル1棟すべてがうなぎ屋だ。新玉亭も4フロアある。収容人数は250人にものぼる。

自前の土地に、自前の建物というのが一般的で、それでうな丼の価格も下げられる。安いからひっきりなしに客が入る。多くの客を受け入れるために、ビルになる。それが津のうなぎ屋なのだ。「『東京値段』にしたら誰も来てくれなくなる」と杉本社長は語るが、不断の企業努力があってこその価格、人気であることは間違いない。実際に、問屋からは「津のうなぎ屋はうるさい」とよく言われるという。

飲み物を頼めば「かみしも」がついてくる
飲み物を頼めば「かみしも」がついてくる

また、津市民には各家庭ごとに「うちのうなぎ屋」があるのだという。代々家族連れでうなぎ屋に通うため「うちのうなぎ屋の味」が、子へ孫へと引き継がれる。なので、津のうなぎ屋は客の取り合いをしない。もちろん「たまには別の店も」となるが、自然といつもの店に戻っていくという。だからこそ、うなぎ屋同士も共存共栄になる。杉本社長は「江戸時代から代々つながっていくことがうれしい」と語る。

津市の中心部にある「新玉亭」
津市の中心部にある「新玉亭」

絶滅が危惧されるうなぎだが、「新玉亭」では、津の食文化を未来永劫継いでいくため、うなぎの保護にも取り組む。天然ものの生態系を維持するため、使うのは養殖もののみ。杉本社長は、南伊勢にあるウナギ種苗量産研究センターを訪問、透明な仔魚(しぎょ)が稚魚であるシラスに変わる様子を見てきたそうだ。神秘的な生命の営みに、資源を大切にしなければいけないと改めて思ったという。

現在では、仕入れるうなぎのサイズを以前より1サイズ大きくし、1匹でも命をいただくうなぎの数を減らしているという。「大盛札」の売り上げの寄付にもそれは現れている。

酒のつまみには肝焼きも
酒のつまみには肝焼きも

「津市の食文化としてお値打ち価格のうな丼を提供し続ける。少しでも多くの津市民にうなぎをこよなく愛してもらうというのが理想。食文化はなくなったら終わり。ぜひ守っていきたい」と杉本社長は力強く語る。

インタビューの後、3階の座敷で焼きたてのうな丼をいただいた。焼き置きはしないため、注文してから食べるまでにはしばらく時間がかかる。酒を注文して待つと、うなぎのえらとしっぽの部分を集めた「かみしも」がつまみに付いてきた。これもまた、うなぎを愛する津ならではの味だ。

かみしもはうなぎのえらとしっぽの部分を集めたもの
かみしもはうなぎのえらとしっぽの部分を集めたもの

ふと気付くと、いつの間にか大きな広間は満席になっていた。ぱりっとした皮の食感は関東のうなぎにはないおいしさだ。津のうなぎは、心もお腹も満たしてくれる、それでいて懐にもやさしい。愛すべき食文化だ。

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