第2回(全4回)
由緒ある「おかやまデミカツ丼」
今や岡山の名物の一つとして知られる「おかやまデミカツ丼」。最近でもよくメディアに登場しますが、誕生は1931(昭和6)年なので、実は90年近い歴史を持つ、とても由緒あるメニューです。
もともと薄い揚げ焼きのようにつくる洋食の代表格でもあるポークカツレツが、現在のとんかつの様に厚みを持つようになる昭和初期の時代と一致します。ナイフとフォークで食べるポークカツレツは、最初から切られて出され、箸で食べるとんかつになった時期です。
デミカツ丼の標準的なスタイルといえば、とんかつをのせた丼にデミグラスソースがかかったもの。その名前からも当然のことですが、実はこのデミカツ丼の標準タイプを定義するのが意外に難しいのです。理由を考える前に、まず発祥の店についてご紹介します。
試行錯誤で生まれたハイカラな味
発祥は1931(昭和6)年創業の「味司野村」。創業時は洋食・和食・寿司なども出していたそうですが、現在は一見割烹のような高級な店構えの、普段使いのできるカツ丼専門店となっています。
デミカツ丼は創業時からメニューに載っている味。創業者の野村佐一郎さんが東京での修業時代に帝国ホテルのドミグラスソース(岡山はデミカツ丼と呼びますが、野村ではドミグラスソースカツ丼と表記)に出合い、その西洋式ソースを白米と合わせたいと試行錯誤を重ね、千切りキャベツは合わないと甘みの引き立つ茹でキャベツにするなどの工夫で、ほぼ今の形になりました。
このハイカラな味はいつしか評判を呼び、まちの中心部に広がっていきます。地元の方によれば、まちなかに住んでいない岡山市民にとって、デミカツ丼はまさにまちなかの味。買い物などで街に行くときに食べるのを楽しみにしていたそうです。
まちなかで広がった”卵でとじない”カツ丼
さてご当地グルメが地元に根付くにはいくつかのパターンがあります。発祥の店で修業をした人が独立して、人気のメニューを出すケース。発祥の店の人が、教えてくれ!と来る店主に惜しげもなく教えてあげるケース。人気のメニューをまねて出す店が増えるケース。
味司野村のデミカツ丼は、代替わりの際に数年かけて引き継がれ、ご本人以外女将さんすらそのレシピを知らないという、いわば一子相伝の味。帝国ホテルのドミグラスソースから発想した秘伝のソースは、なかなかその味にたどり着くことは難しいことは想像に難くありません。
しかし大衆食堂や喫茶店、洋食店、ラーメン店などで、卵とじではないスタイルのデミカツ丼を創作するようになります。いつしか人気店が現れ、それらがバリエーションとしてデミカツ丼と呼ばれるようになったのではないかと考えられます。
一般的な卵とじカツ丼は、和風のだしと返しを使うことで、奥深い和風だしのカツ丼になるため、そば屋での提供が多いことはご存じのとおりです。デミグラスソースは洋風のソースですが、実はラーメンどころとして知られる岡山で、ラーメンスープを使ったデミカツ丼が人気を博すようになります。
「味司野村」とともに、常に人気店として名前の挙がる「だて」はラーメンとカツ丼の専門店。「やまと」は中華そばが人気で洋食も提供する食堂です。岡山ではそば屋のカツ丼ならぬ、ラーメン屋のデミカツ丼が岡山で人気を博しているのです。
さて岡山を代表する人気の老舗3店ですが、ソースの違いもさることながら、「野村」は茹でキャベツを使い、「だて」「やまと」はどちらもキャベツを使いません。しかし現在多くの店舗で提供されているデミカツ丼は、千切りキャベツとデミグラスソースというスタイルが多いようです。
現在岡山には店主会は存在しませんが、2010(平成22)年に設立したまちおこし団体「おかやまデミカツ丼応援隊」がデミカツ丼で岡山のまちをPR=「デミ活」しています。10年の間、「ケンミンSHOW」や「アド街」などをはじめ多くのマスメディアでデミカツ丼が紹介され、今やすっかり岡山を代表するご当地グルメとして定着しています。PRのイベントなどでは、最も多いスタイルで紹介されるようですが、是非いろいろな個性的なデミカツ丼を食べてみてください。