第2回(全4回)
独自のソースカツ丼文化圏
群馬県桐生市は、他県のソースカツ丼エリアと比べて東京に近く、ソースについては東京を中心とする東日本のスタンダードともいえる中濃ソース文化圏と考えられ、中濃ソースやとんかつソースなどの粘度の高いソースがスーパーマーケットの棚の多くを占めています。
実際、とんかつを食べる際には、中濃ソースやとんかつソースで食べるようなのですが、桐生のソースカツ丼はさらりとしたソースに和風の香りのご飯によく合うソースです。隣接する福島県のとろみのあるソースの会津ソースカツ丼とも全く違うソースカツ丼文化圏を形成しており、桐生のソースカツ丼はとんかつとは別の料理として個性を発揮しているようです。
桐生のソースカツ丼が知名度をあげたのは、2011年のまちを紹介する番組「アド街ック天国」での桐生市の紹介、そして2014年「秘密のケンミンショー」の駒ヶ根、福井とともにソースカツ丼を紹介されたことが大きく寄与しているでしょう。現在では桐生市の二大名物として、薄く平たいうどん「ひもかわ」とともに「桐生ソースカツ丼」を市としても積極的にPRをしており、「桐生ソースカツ丼会」も近年設立されました。
カツ丼に うなぎのタレとウスターソース…?
桐生市の二大名物「ひもかわ」と「桐生ソースカツ丼」桐生の名物として知られるソースカツ丼は1926(大正15)年創業の「志多美屋」で誕生しました。桐生ソースカツ丼の元祖であり、名店として知られるお店ですが、ルーツをたどると日本最大級の遊水地である渡良瀬遊水地の近辺でうなぎの卸商をされていたとのこと。その息子さんが鰻屋を桐生で創業し、更に現在の店主の祖父に当たる弟さんが引き継いで食堂となったそうです。
そして鰻のたれを活かしたメニューを考え、ウスターソースを絶妙の配合で合わせた特製のソースで、桐生市民のソールフードともいえるソースカツ丼が生まれたとのこと。
鰻のたれと合わせるというアイデア自体、かなり柔軟で独創的ですが、それがカツとご飯と合わせて絶品の丼物に仕上がっていることに驚きます。
醤油にウスターソースを合わせ、砂糖の甘みを加えるという駒ヶ根スタイルとも少し違い、醤油、みりんに砂糖を加えたうなぎのタレとウスターソースを合わせる、全国的にも唯一無二のソースカツ丼といえるでしょう。
各地のソースカツ丼は、大正から昭和初期に揚げたてのトンカツ(当時は洋食のポークカツレツ)でソースカツ丼を作れる洋食店で誕生しています。そのため洋食店か洋食の流れをくむとんかつ店、食堂など揚げたてのカツを出せるお店に広がりました。
一般的にカツ丼といえばそば屋のカツ丼というイメージだと思いますが、それは揚げ置きのカツを、自慢のそばつゆと卵でとじるカツ丼が日本人の味覚に非常に合い、高度成長期に国民的人気を博していったためでしょう。そば屋で誕生した故に天ぷらとカツを一緒に揚げると油が汚れてしまうというジレンマがあり、当初は必ずしも揚げたてのとんかつが主役のどんぶりではなかったと考えられます。
カツもソースも個性的な桐生のカツ丼
桐生のソースカツ丼は「ひもかわ」うどんを提供するうどん・そばのお店もあり、専門店やとんかつ店、食堂と合わせて100軒ほどの提供店があるそうです。ちなみに鰻屋の人気店も多いのですが、ソースカツ丼は見当たらず、「とり丼」や「ぶた丼」といったメニューがあるのです。普通の鰻屋ではまずお目にかからないメニューですが、鰻のたれが発祥のソースカツ丼があるのですから、そのメニューの柔軟性は決して不思議ではないのかもしれません。
最後に桐生のソースカツ丼はなんといってもヒレカツが主役というのが個性的です。ヒレカツの発祥は1912(大正元)年上野の「蓬莱屋」であり、一口ヒレカツの発祥は1927(昭和2)年創業の「銀座梅林」といわれています。それぞれ創業時から出されていたか定かではありませんが、少なくともまだ一般的にはなっていなかったヒレカツを独自のたれでカツ丼にしてしまった発想の桐生のソースカツ丼は一度食べる価値のある逸品ぞろいです。