絶滅危惧種「三里塚ジンギスカン」よ永遠に

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2020年春、日本のジンギスカンの歴史を物語る店が、静かにその歴史を終える。千葉県成田市三里塚にある「緬羊会館」だ。

スリットが入ったジンギスカン鍋
スリットが入ったジンギスカン鍋

店の中は土間。土の上に置かれたテーブルには中央に穴が開いていて、そこに七輪を入れ、スリットが入ったジンギスカン鍋をのせる。スリットの間からは、まっ赤に燃えた炭が見える。肉をのせれば、そのスリットから溶けた脂がしたたり落ち、もうもうと煙を上げる。目がかすむように煙が立ちこめた店の中で、冷えたビールで肉を流し込む…。それが緬羊会館の魅力だった。

ウールの軍服でジンギスカン誕生?

ジンギスカンと言えばまずは北海道
ジンギスカンと言えばまずは北海道

ジンギスカンと言えば北海道をイメージする人が多いだろう。しかし、日本列島には、三里塚だけでなく、広くご当地ジンギスカンが分布する。興味深いのは「我が町こそジンギスカン発祥の地」と標榜する都市が、これまた全国に点在することだ。果たして、日本のジンギスカンはどのようにして誕生したのか。

冷涼な気候を好む羊は、もちろん日本古来の動物ではない。江戸時代までに何度か国内に持ち込まれ、飼育を試みたがいずれも失敗に終わっている。日本国内で羊の大がかりな飼育に成功したのは、明治に入ってからだ。

長野・遠山鄕の「鶏ジン」 鶏肉のジンギスカン
長野・遠山鄕の「鶏ジン」 鶏肉のジンギスカン

きっかけは明治維新による日本軍の創設。それまで、絹や木綿が中心だった日本の衣類に対し、軍服にはウールが使われることになった。そこで明治の元勲・大久保利通が緬羊の飼育に着手する。その場所が三里塚だった。現在成田空港の一部になっている、かつての御料牧場だ。

岩手・遠野ではバケツに炭を入れて羊肉を焼く
岩手・遠野ではバケツに炭を入れて羊肉を焼く

日本には使役動物などがその役目を終えると「ありがたくいただく」という伝統がある。卵を産まなくなった廃鶏を使った料理は各地に点在し、馬肉食の文化がある地域は馬産地だったりする。ジンギスカン、羊肉食の文化は、同様に、ウール生産の役割を終えた緬羊を食べたことが発祥であろうことは想像に難くない。

三里塚にある御料牧場記念館
三里塚にある御料牧場記念館

実際、成田市にある御料牧場の歴史を展示した御料牧場記念館には、かつて羊肉を焼くために使われていた鉄板が残されている。

「満州」の味を日本でも

「羊肉店」は三里塚ならでは
「羊肉店」は三里塚ならでは

では、日本のジンギスカン発祥の地は三里塚なのかというと、話はそう簡単ではない。日本を挙げての軍創設、その軍服の原料となるウールを御料牧場だけでまかなうのは困難なはずだ。政府は全国各地に緬羊の飼育を呼びかける。三里塚とほぼ同時期に、緬羊飼育に着手した地域も多いだろう。そういう意味では、全国各地で同時多発的に羊肉食文化が形成されたと見るのが妥当だろう。

東北風羊肉の串焼き
東北風羊肉の串焼き

実は各地のご当地ジンギスカンの中には、この軍服由来とは別のルーツを持つものもある。その一つが「満州」由来だ。戦前・戦中にかけて、中国東北部には多くの日本人が移民として渡った。中国東北部からモンゴルにかけては、羊肉食地帯だ。筆者も中国・瀋陽(かつての奉天)で羊肉のしゃぶしゃぶを食べたことがある。国内でも、羊肉の串焼きなどを出す、東北出身者が経営する中華料理店は多い。

瀋陽のしゃぶしゃぶ メインは羊肉
瀋陽のしゃぶしゃぶ メインは羊肉

戦後、日本に引き揚げてきた人たちが、現地の味を懐かしみ、国内でも羊肉を食べるようになり、それがご当地ジンギスカンにつながったという例もある。こうした背景を考えると「どこが『元祖』か?」などという議論は野暮というものだろう。

語り継ぎたい三里塚のジンギスカン

話を緬羊会館に戻そう。

緬羊業者の組合事務所だった建物を転用
緬羊業者の組合事務所だった建物を転用

緬羊会館はその名が表すように、三里塚の緬羊業者の組合事務所だった建物を転用した店。まさに、三里塚の、いや日本のジンギスカンの歴史をそのまま映した店だった。その意味で、単に有名店がなくなってしまうのとは、少し意味合いが違うような気がする。

日本の食文化の歴史を物語る象徴として、保存してほしいとさえ思ったほどだ。しかし、残念ながら今回の閉店となった。聞くと、店は借り物で、閉店後は取り壊されるのではないかとのことだった。

北海道・名寄には「煮込みジンギスカン」も
北海道・名寄には「煮込みジンギスカン」も

成田は、首都圏でも有数の観光地。成田山新勝寺というスポットがあり、うなぎや鉄砲漬けなど、地元を代表する食べ物にも事欠かない。成田市の中心部を離れた三里塚の隠れた「ご当地グルメ」であるジンギスカンに陽が当てられなかったのも、ある意味仕方がないかもしれない。

しかし、札幌はもちろんのこと、バケツジンギスカンの岩手・遠野、ジビエをジンギスカンにする長野・遠山郷など各地のご当地ジンギスカンに比べ、三里塚のジンギスカンはあまりにも知名度が低すぎなかっただろうか。千葉県民でさえ、いや成田市民でさえ知らない人も多い。少なくとも、ジンギスカンの歴史を考えれば、最古参のひとつであることは間違いないはずなのに。

三里塚のジンギスカンを永遠に
三里塚のジンギスカンよ永遠に

そもそも、御料牧場が栃木県高根沢町に移され、その跡地が成田空港の一部として転用された時点で、すでに三里塚のジンギスカンの歴史は終わっていたのかもしれない。しかし、細々ではあるが、その足跡は残り続けてきた。地元で「ジンギスカンは三里塚の名物」と語る方もいらっしゃる。

緬羊会館と同じ街道筋にある「野沢羊肉店」は、羊肉専門店として営業を続ける。常時ではないが、予約をすれば、御料牧場で食べていたスタイルでジンギスカンが食べられる。緬羊会館が閉店すると、野沢羊肉店が最後の「三里塚ジンギスカン」の店になる。

三里塚のジンギスカンは、ただの「ご当地ジンギスカン」ではない。日本のジンギスカンの歴史を語る上で非常に重要な位置づけにある。今後も長く語り伝えられ、いつの日かその重要性に陽の目が当たることを強く願っている。

(渡辺智哉)

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