房総沖、太平洋岸は、南から北上してきた暖流の黒潮と北から南下してきた寒流の親潮が交わる好漁場で、漁業が盛んだ。なめろうは、そんな太平洋に面した千葉県房総半島に古くから伝わる郷土料理。漁師が漁獲のあい間に船上で食べた、いわゆる「漁師めし」だが、波の荒い太平洋では船の揺れが大きく、しょうゆなどの液体調味料が使いづらいため、味噌を使って、ネギやショウガといった香味野菜とともに釣りたての鮮魚を叩いて食べたのが始まりとされている。

なめろうの名前の由来は、「皿をなめるほど旨い」ことから名づけられたという説。また、粘りが強く皿にこびりついてしまうことから「なめないと食べられない」という説もある。ちなみに、なめろうを焼くなど加熱したものがさんが焼きだ。

ちなみに、さんが焼きの名前は、半農半漁の漁師が多く、山家(さんが)と呼ばれる農作業用の小屋で焼いて食べたから「山家焼き」と呼ばれたという説と山の食材と河(海)の食材が合わさった「山河焼き」に由来するという説がある。なめろうは、魚のタルタルステーキ、さんが焼きはハンバーグと解釈すれば分かりやすいだろう。

一般になめろう・さんが焼きはアジを使ったものが知られているが、地元ではアジに限らない。季節によってイワシやサンマ、トビウオなども使われる。青魚だけでなく、赤身や白身の魚種を使えば、その味のバリエーションはとても豊かになる。ただ、地元・房総でも寿司屋や魚料理店の寿司や刺し身に加える「もう一皿」のポジションを与えられていることが多く、アジ以外のなめろう、さんが焼きを味わう機会はなかなか少ないのが実情だ。

そんな中で、房総のなめろう・さんが焼きの魅力をとことん味わうことができる貴重な店がある。南房総市JR内房線岩井駅そばにある「伏姫さんが焼」だ。同店は「日本初のさんが焼き専門店」を謳う。地元の漁港から仕入れた、豊富な魚種の新鮮な魚を、刺身や寿司として食べられるのはもちろん、なめろう、さんが焼きにして提供している。

最初に同店を訪れた際に、壁に掲げられたメニューを見て驚かされた。なめろうだけで何と9種類もの魚種が掲げられていたのだ。オーソドックスなアジ、黄金アジはもちろんのこと、赤サバ、本めじマグロ、ヒラマサ、マダイ、イシナギ、ミンククジラ、キンメと並ぶ。クジラのなめろうなど、想像もできなかった。

ランチタイムに訪れたため、この日はオオニベのフライ、アジのさんが焼き、クジラの竜田揚げ、オオニベのなめろう、コショウダイの南蛮漬け、青唐さんが味噌に、イワシのつみれ汁がセットになった「伏姫定食」をいただくことにした。焼き物から揚げ物、なめろう、さんが焼き…と料理のバリエーションも豊富だが、魚種もまた多岐にわたる。

せっかくなので、キジメのなめろうも追加した。キジメとはキハダマグロの幼魚だ。白身のオオニベと赤身のキジメのなめろうを食べ比べる。一般には味噌味が勝るなめろう・さんが焼きだが、「伏姫さんが焼」では、味噌は控えめだ。魚種ごとの持ち味をしっかり味わうためだ。正直、なめろうがここまで上品な食べものであったことに感動した。

日を改めて、夜の部に予約をして再訪した。ますは、黄金アジのなめろうと生さんがだ。黄金アジは、マアジながら色が黄色~黄金色と明るい、東京湾近海で水揚げされている根付きのアジのことだ。根付きアジ、瀬付きアジと呼ばれ、栄養豊富な海域であまり移動しないのため、脂のりがいいのが特徴だ。なめろうでは、そのまったりした身を味わえる。

生さんがは、「伏姫さんが焼」のオリジナルメニュー。なめろうに10種類の蒸し野菜を合わせ、卵と大和芋でとろみをつけたものだ。アジをたたいて出るうまみに野菜の甘みが加わる。なんとも言えない甘さだが、野菜から出る優しい甘さで、酒が進む、極上の味だった。

白身のヒラマサのなめろうも注文した。白身魚は、そもそもあっさりした味わいが特徴だが、噛みしめるほどうまみが湧き出てくるものだ。噛みしめる前に、十分にたたいているので、調理過程でうまみが引き出されている。味噌や香味野菜も控えめで、素材が本来持つうまみをしっかり引き出している。

驚きはミンククジラのなめろうだった。大型魚ならではの肉にも通じる味わいが楽しめる。見た目からしてまるでユッケのようだ。しっかりした歯ごたえがあり、クジラの持ち味がしっかり生かされている。クジラは、他に竜田揚げ、刺し身でもいただいたが、とても柔らかく、噛みしめると存分にうまみが味わえた。

さんが焼きは、まずオオニベから。白身でくせのない味がゆえに、野菜の甘みが引き立つ。ひとくち食べただけで、甘みをしっかりと感じる。しかし、くどい甘さではない。魚のうまみとともに、口の中に豊かに甘みが広がる。

サワラもさんが焼きにしてもらった。あまりの美味しさに酔いも回り、白身が被ってしまった。とはいえ、春が旬のサワラ。より軽やかな白身のうまみを味わえた。これだけ甘さが立っていながら、きちんと魚種ごとの味の違いを認識できるところが、ご主人の腕前なのだろう。

正直なところ、なめろう・さんが焼きに限らず、すべての料理が美味しかった。特に感動したのが、黄金アジのなめろう、生さんがに添えられたアジの骨が、スープの出しになって帰ってきたときだ。味付けも繊細で、魚のアラから出るうまみを存分に味わえる調味が施されていた。

食べ残しておいたスープは、最後は雑炊になった。次から次へと注文を重ね、いつの間にか、房総でしか味わえない極上のコース料理になっていた。ご主人曰く、現在では鮮度が落ち、刺し身や寿司に適さないような魚がなめろう・さんが焼きに使われることが多いという。しかし、そもそもは「漁師めし」。釣りたての、最高の鮮度で調理して食べるものだ。そう、なめろう・さん焼きは「もうひと皿」のポジションに甘んじているような料理ではないのた。その神髄を、ぜひ「伏姫さんが焼」で味わってほしい。