暮らしの中のもち・だんご 「岩手のお茶もち」

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旧南部藩、現在の岩手県北部や青森県の太平洋岸地域は、夏に「やませ」と呼ばれる冷たい風が吹き、米作りが難しい地域だった。明治以降も東北広域での冷害などもあり、米は貴重な食べもので、広く知られている八戸のせんべい汁も、麦を粉にして焼いたせんべいを米の代わりに主食として食べたものだ。そうした南部の米事情を反映した食文化に、岩手県盛岡市を中心に食べられているお茶もちがある。

くるみだれをたっぷりつけて

お茶もちは、うるち米の粉を水で練っただんごを串に刺して薄く伸ばし、しょうゆやみそで味付けしたくるみだれをつけて焼いたもの。そもそもは、囲炉裏で両面を炙り焦げ目をつけ熱いうちに食べていた。農家が作業の合間に小腹を満たしたり、こどものおやつとして食べられてきた。現在では、その名の通り、お茶請けとして食べられることが多いという。名前の由来は、その形がうちわに似ていることから「うちわ餅」と呼んでいたのが訛った、あるいは「お茶請けのうちわ餅」を略して呼ぶようになったなどの説がある。

岩手町沼宮内にある西田だんご店

盛岡市の北、岩手町沼宮内にある「西田だんご店」を訪れ、お茶もちについて2代目の西田拓広(66)さんとキャベツが特産品の岩手町を応援する「キャベツマン」としても活躍する3代目の西田広司(38)さんに話を聞いた。お茶もちは「西田だんご店」の主力商品のひとつ。地元のリピーターから愛され続け、今では盛岡市からその味を求めて来るファンもいる。

原料はうるち米の粉

お茶もちの原料となるうるち米の粉には、南部地域ならではの食事情がある。そもそも米は貴重品、それをわざわざ粉にしたのは保存のためだ。次の収穫期までの1年間、貴重な米は一粒たりとも無駄にできない。しかし、米粒のままではカビが生えたり、ねずみなどにかじられたりするリクスが高くなる。そこで、カビも生えにくく、かじられることもない粉にして保存していたというわけだ。

焼き上げたらくるみだれに浸す

味付けにも南部らしさが映る。和菓子の盛んな京都から北陸にかけてはもちろん、全国的にだんご屋や和菓子店のだんご、もちといえば甘いものだ。しかし、交通が発達する以前、砂糖は貴重品であり、かつては「通貨」でもあった米の乏しい地域には行き渡らなかった。味付けにはみそやしょうゆが使われることになる。一方で、山のくるみは山間部ではなかなか手に入らない脂肪分を含む。くるみを使うことで、甘さに匹敵する「ごちそう」を演出していた。ちなみに地元では、美味しいことを「くるみ味がする」と言うそうだ。

うるち米の粉を熱湯で練った生地

「西田だんご店」では、うるち米の粉を熱湯で練って生地をつくる。ちなみに「粉を練ってつくるのがだんご、餅米を炊いてついてつくるのが餅」だが、その境界は非常に曖昧だ。「西田だんご店」でも串だんごは、うるち米の粉を水で練って生地をつくる。どちらも原料は一緒だが、「もち」と「だんご」になる。差は熱湯で練るか水で練るかの違いだ。

ゆっくり丁寧に伸ばしていく

盛岡ではだんごのように丸く成形した生地を3つ串に刺して伸ばしてつくるというが、「西田だんご店」では、まさにうちわ型、軍配のように成形する。いっぺんにつぶすのではなく、ゆっくり丁寧に伸ばしていき、最後はスタミナドリンクの瓶を使って、うちわの形に仕上げる。

最後はスタミナドリンクの瓶で成形

これを蒸した上で焼く。実はここまでの課程はお茶もちも串だんごも一緒だが、串だんごはすぐに食べないと硬くなるのに対し、お茶もちは柔らかい食感が長く続く。「西田だんご店」では、串だんごは毎日仕込むが、お茶もちは3日に1回程度で、成形して保存しておいたものを蒸して焼き、たれをつけて提供するという。

仕込み済みのお茶もちの生地

そもそも大都市の感覚では、だんごももちもスイーツの1種であり、和菓子店の品揃えの1つだ。沼宮内という小さな町で「だんご専業店」が成り立つのか、素朴な疑問をぶつけてみた。拓広さん、広司さんともに、都市化が進む盛岡ではどんどんだんご屋・もち屋が減っていると感じているという。お茶もちを取り扱う店も数えるほどになったそうだ。「西田だんご店」はそもそもはだんご専業店だったが、近くのもち屋が廃業したため、もちも扱うようになった。「逆風」は否めない。

「西田だんご」のお茶もちと串だんご

だんごやもちは地域の行事との結びつきが強い。正月の鏡餅、お雑煮のもちから始まり、ひなまつりには菱餅、5月にはかしわ餅、彼岸には彼岸だんご、秋には月見だんご……。季節ごとに行事があり、そこで食べるもち、だんごがある。1年じゅう繁忙期と拓広さんは語る。子どもが生まれれば「一升もち」というお祝いのもちをつくり、お盆の送り火にはご先祖様に保存性の高いゆべしを供え、背中に背負って帰っていただく。暮らしの中にもち・だんごがしっかりと根付いている。調理台の後ろの棚には、多くの注文を記したメモが貼り付けられていた。

ずらり貼り付けられた注文のメモ

日々の行事と連動した「食文化」の感覚の希薄化が、もち屋・だんご屋の減少につながっているのではないだろうか。特にお茶もちの衰退は、単に「おいしいお茶もちが食べられなく」なるだけではなく、南部特有の文化の喪失にもつながる可能性がある。

西田拓広さん(右)と広司さん

店内には神棚があり、仕事の前には手を合わせ「身を引き締めてお茶もちをつくる」とは拓広さん。「これを機会に、父のお茶もちの作り方をしっかり学んで受け継いでいきたい」と広司さんは語る。南部という地域性を映し、神事・仏事とともに長年培われてきた貴重な食文化が、今後も守り続けられることを期待したい。

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