和食の華・お刺身に不可欠のわさび。アブラナ科に属する日本固有の植物だ。栽培方法別に、主に根茎部分を食べる水わさびと葉や茎を食べる畑わさびがある。特に水わさびは、すりおろすと清涼感のある辛味が生じ、薬味や調味料として幅広く使われる。しかし、わさびの本場、伊豆半島ではわさびそのものを味わう料理がある。わさび丼だ。
農林水産省が発表した2021年の特用林産物生産統計調査によると、水わさび根茎の生産量は、静岡県が約235トンと2位長野県の136トンを上回り、都道府県別のトップとなっている。さらに、18年3月にイタリア・ローマの国連食糧農業機関本部で開催された審査会で、「静岡水わさびの伝統栽培」が、世界農業遺産に認定された。静岡の清流で育まれるわさびは、世界に冠たる日本伝統の味ということになる。
全国の山間地に自生するわさびだが、慶長年間に静岡市内の佛谷山(ぶっこくさん)に自生する野生のわさびを同じ地区の湧水源付近に植えたことが、わさび栽培の始まりとされている。18世紀の中ごろには伊豆へ栽培法が伝播、19世紀の終わりには、中伊豆で「畳石式」と呼ばれる栽培方式が開発され、その後、その栽培法が伊豆から静岡へと広まり、日本各地に普及していった。
水わさびは、水温8~18℃の環境で育ち、その適温は12℃~13℃、真夏でも16℃以下が望ましく、清涼で豊富な水が必要なことから、栽培できる場所はかなり限られる。静岡では原産の静岡市内をはじめ、浜松市や富士宮市、御殿場市などの山間部で行われているが、特に山深い伊豆は、わさびの育成環境に適し、多くの場所でわさび栽培が行われ、静岡県内でもその生産量は抜きん出ている。
わさび産地のひとつ、西伊豆町大沢里の「わさびの駅」を訪ねた。伊豆半島西側に位置する猫越岳を水源に西伊豆町の駿河湾に注ぐ仁科川の沢沿いに位置し、山の急峻な斜面にはわさび田が広がる。わさびは、2月から4月ころにかけて、小さなかわいい花をつける。食べることもできるが、主として苗を作るための種とりに使われるため、市場には余り出回らない。
「わさびの駅」では、隣接するわさび田のとりたてわさびを販売するだけでなく、その場で食べられるようにもなっている。それがわさび丼だ。実際に食べてみよう。炊きたてのご飯の上に、わさびの茎のしょうゆ漬け・つんつん漬けがのり、さらにその上から西伊豆町名産の強い炎で燻す特別なかつお節、田子節の削り節がたっぷりとのっている。そこに、とりたてのわさびを自分ですりおろしてのせて食べる。
生わさびは、先端部分と茎の近くでは味が違う。先端部分は苦みが強く、逆に茎に近いところの方が、刺激や香りなどがより豊富だ。好みに応じて、どちらからおろし始めるかを決めるといい。1本すべてすりおろし、よく混ぜるのもまたよし。これなら、茎に近い部分と先端部分の味の違いを均一化できる。
わさびは香りも刺激も熱に弱く、揮発性が高い。すりおろしてから時間がたつと風味が飛んでしまう。なので、おろしたてで食べることをおすすめする。削り節の上におろしたてのわさびをのせたら、しょうゆを好みでかけ回し、ご飯と一緒によく混ぜ合わせて口に入れる。おろしたてのわさびは刺激が強く、気をつけないと鼻をつまみながら涙にまみれることになる。まぁ、それもまたわさびの魅力でもあるが。
食べすすめるうちにご飯の熱も加わり、強い刺激が弱まってくる。そこでまたわさひをおろし、追加しながら食べ進んでいく。畑わさびは葉や茎を主に食べるが、水わさびの葉や茎も実はおいしい。「わさびの駅」のわさび丼に入るつんつん漬けも茎を漬け込んだものだし、わさびの葉も天ぷらにするとおいしい。薄い葉なので、さっくりとした食感を楽しんでいると、しばらくすると、ほんのりいい香りが鼻から抜けていく。
涙を流しつつ、新鮮なわさびを味わったら、最後はわさび丼をお茶漬けにしていただきたい。熱いお茶をかけると、鼻をつく刺激が急激に弱まる。最後は香りを楽しみながらわさび丼をしめくくる。
このように熱を加えなくても、わさびの刺激はすぐに落ち着いてしまう。とはいえ、家庭で1本一度に食べきるのはなかなか難しい。新鮮なわさびが手に入ったら、いっぺんにすべておろしてしまうといいそうだ。わさびおろしにはサメ肌がいいといわれるが、できるだけ目の細かいおろしがねを使うと風味が増す。おろす際はゆっくりと。時間はかかるが、特有の刺激と香りを楽しむにはこの方法がいいとのこと。
それを一度に使う分ずつ小分けにして、冷凍庫で凍らせておく。熱に弱く揮発性が高いと言うことは、密封・冷凍しておけば風味を保つことができるというわけだ。解凍して使う際には、包丁などでたたくと、風味が増すという。わさびの刺激は、おろして初めて、つまり細胞が壊れて成分が空気に触れることによって生まれる。なので、解凍して食べる前に今一度「いじめる」ことで、刺激がより高まるのだそうだ。これで、生わさびさえ買って帰れば、自宅に居ながらにしてわさび丼が味わえる。
生のわさびもいいが、わさびの本場・静岡ではわさび漬けも名物だ。もちろん「わさびの駅」にもオリジナルのわさび漬けがあるが、わさび発祥の地に敬意を表し、静岡市内にあるわさび漬けの老舗「田丸屋」を訪れた。田丸屋の工場「ステップインたまるや 見る工場」では、製造現場の見学、さらには、「山葵の辛味挑戦質」でわさびの刺激を身をもって体験できるからだ。小部屋に入り扉を閉めて、部屋の中のボタンを押すと天井からわさびの成分が噴出してくる。何度かボタンを押すと、最後は涙が出るほどの刺激が小部屋に充満した。
併設された売店では、バリエーション豊かな「田丸屋」のわさび漬けをあれこれ選んで購入できる。もちろん、生わさびや花、茎も販売している。国道沿いで駐車場も広いので、静岡を訪れた際には立ち寄ってみるといいだろう。