南北に細長い三重県は、北から北勢、伊賀、中勢、南勢(伊勢志摩)、東紀州の5地域に区分される。山梨県が関東と中部両地方にまたがっているのと同様に、三重県も近畿・中部の両地方にまたがっている。そのため、滋賀・奈良両県、京都府に接する伊賀地方は、関西の文化が色濃い。高原に囲まれた盆地で、水も豊か。伊賀米で知られ、果樹も多い。そんな伊賀地方を代表する「地元の味」が伊賀牛と伊賀米、そして名張牛汁だ。
伊賀牛は、鎌倉時代末期に記された国産牛の図説「国牛十図」に大和牛として紹介されるなど、古くから伊賀地方に使役牛として根付いてきた和牛だ。江戸時代には、伊賀忍者がその干肉を携帯食にしていたという。明治に入り肉食が一般化すると、食用にも供されるようになる。1905年、東京へ肉牛として出荷され評判を呼び、以来、伊賀牛はブランド和牛として知られるようになった。
現在、伊賀牛は伊賀・名張両市で肥育された、出産経験のない雌の黒毛和種と定義されており、30戸ほどが約2400頭の牛を飼育している。伊賀盆地特有の豊かな自然環境が育む芳醇な香りとコク、とろけるような柔らかさが特徴。同じく三重県産ブランド牛として著名な松阪牛が年間9000頭ほど出荷されるのに対し、伊賀牛は年間約1300頭と少なく、しかも地元で多く消費されるため、地元以外ではなかなか味わえない希少な牛肉となっている。
そんな伊賀牛の魅力を探るべく、名張市東町で和牛の交配・肥育を手がける奥田ゴールドファームを訪ねた。一般的な肉牛生産は、子牛を産ませる繁殖と子牛を買い付けて育てる肥育とは別の業者が手がけるケースが多いが、奥田ゴールドファームは交配から肥育まで一貫して手がける。
生まれた牛は、親から離し、紐では縛り付けない。牛舎をのぞくと、そこかしこで子牛が自由に歩き回っている。筋肉がつくられる段階では、適度な運動が必要とのこと。「医食同源」の考え方から飼料にもこだわる。和牛らしい「サシ」を入れるためには高カロリーの飼料が必要だが、ただカロリーを上げるだけでは皮下脂肪が増え、逆に肉の歩留率が下がってしまう。必要な時期ごとに最適な飼料を与えることが必要という。
抗生物質やワクチンに頼り切らず、自然由来の飼料、干し草を与える。飼料は、穀物におからやビールの絞りかす、酒粕などの残さ、つまり産業廃棄物を加えたもの。しかも地元産を多用する。草食の牛は干し草を大量に食べるが、これも地元契約農家で収穫された稲わらを与える。特に酒粕を牛は好んで食べるといい、麹を含むことから、牛の腸内細菌を活性化するのだという。そのせいもあり、牛の糞が匂わない。不思議な牛舎だ。
そして、この糞はやがて契約農家の肥料となる。自然の食物連鎖が、おいしい伊賀牛、そして伊賀米を育んでいる。さらに出荷前の半年は伊賀産のコシヒカリも与える。牧草も自らが持つ納豆菌で発酵した稲わらを与える。こうした努力で、脂の融点が低い、とろけるような「サシ」を作り上げる。
実際にその牛を味わってみよう。「伊賀牛奥田」は、名張市中心部にあり、1階が精肉店、2階が焼肉レストランになっている。まず登場したのは伊賀牛のお刺身だ。生食は伊賀ならではの食文化として残すべく、きちんと許可を得た上で提供している。薄切りにされた伊賀牛は鮮やかな赤い肉色に細かくサシが入っている。まずはそのまま、わさびじょうゆにねぎを添えていただく。赤身のうまみと脂の甘さに舌が喜ぶ。
さらに、網でほんの少し炙ってから食べる。網の上に置いてはいけない、しゃぶしゃぶのように箸でつまんで網の上を何度か往復させる。これだけで、融点の低い脂がとろけ出す。しつこさは皆無だ。脂の味がさらに引き立つ。
焼肉は左上から時計回りにバラ、赤身、テッチャン、ロース。まずは赤身からいただく。肉のうまみが凝縮されている。適度な厚みがあり、弱火でじっくり火を通すと、絶妙のやさしい歯触りが楽しめる。赤身特有のパサパサ感など微塵もない。
バラはねっとりとした脂が味わえる。しかし、くどくはない。牛脂ならではの豊かな甘みは、炊きたての伊賀米を口の中へと誘う。
脂の真骨頂はテッチャンだ。脂をたっぷりとまとっているが、じっくりと火を通すことで、しつこさを感じることなく、ジューシーに味わえる。昼時だったが、思わずビールがほしくなった。
そしてロース。赤身と脂身のいいとこ取りだ。赤身の持つ肉本来の味わいと脂の甘みが口の中でとろける。
興味深いのはたれ。最初に紹介したように、伊賀は関西と中京にまたがる地域だ。左は関西風のしょうゆだれ、右は愛知・三重・岐阜特有のみそだれ、並べて提供される。どちらがより美味しいというわけではない。伊賀という地域ならではの味を堪能する。
忘れてはならないのが名張牛汁だ。そもそも「伊賀牛奥田」のような地元精肉店のまかないとして誕生した。売れ残った肉をうどんのだしに入れ、そこにご飯を入れて掻き込んだのが始まりだ。ワカメとショウガを入れた椀に、伊賀牛の切り落とし、タマネギ、長ねぎが入った関西風の昆布だしを注げばできあがりだ。
名張牛汁を旗印に伊賀地方のまちおこしに取り組む名張牛汁協会では、①肉は伊賀牛を必ず使用すること②基本は和風しょうゆだしに伊賀牛、ネギを使用すること③野菜などの具材は、なるべく地元産を使用すること④商品名は「名張牛汁」とする⑤店先にのれんを掲示すること――を「牛汁五か条」として定義する。そこに、伊賀米のご飯を入れて食べるのが地元流だ。
そもそもは、まかないとして売れ残りの肉を食べる「始末の料理」だったが、伊賀牛と伊賀米という地元ならではの食材を同時に味わえることから「伊賀を代表する味」としてスポットライトを当て、ご当地グルメでまちおこしの祭典・B-1グランプリにも出展するなど、伊賀の食文化として全国に発信してきた。関西圏のベッドタウンとして発展著しいが、名古屋と大阪の中間点、しかもメインの東海道から外れたルートだけに、東日本の人にはなじみが薄い地域でもある。ぜひ、伊賀牛・名張牛汁を味わうために伊賀を訪れてほしい。