兵庫県高砂市は、播磨灘に面し、加古川河口部の西岸に広がる沖積平野に位置するまちだ。加古川と播磨灘をつなげる水運の要衝として、特に姫路藩成立以降、栄えてきた。加古川市と姫路市に挟まれ、市域も限られているが、海岸線には工場も多く、さらには神戸・大阪のベッドタウンとしての一面も持つ。そんな高砂市のご当地グルメが、同地ならでは個性的なコナモン、にくてんだ。
神戸など兵庫県ではかつて、お好み焼きのことをにくてんと呼んでいた。高砂のにくてんは、一見お好み焼風ではあるものの、よく見ると、食べてみると、高砂ならではの特徴がいくつもあり「高砂風お好み焼き」とは簡単には呼びにくいところがある。ひとつは、具に兵庫県のお好み焼きによく用いられるぼっかけ、牛すじとこんにゃくを細かく刻んで、しょうゆベースの味付けで煮込まれたものが入っている点。そして、高砂以外のにくてん・お好み焼きとの最大の違いが、煮込んで味を含ませたジャガイモが入っている点だ。そして、決まって二つ折りにして提供される。小麦粉を主体にしたコナモンではあるが、近隣のお好み焼きやたこ焼きとは明確な違いがある。
以前、姫路から大阪まで、たこ焼きがどのように変わっていくかを確かめたことがある。兵庫県内では、姫路は明石風の卵の含有量が多いぷるぷるのたこ焼きでだしに浸して食べるもののソースやマヨネーズも用いる。それが、明石に入ると、玉子焼きをだしに浸して食べる「明石焼き」になる。神戸あたりから、小麦粉が多い外カリ中ふわのたこ焼きをだしに浸すようになり、大阪府に入るとだしが消え、外カリ中ふわをそのまま、あるいはソースやマヨネーズなどで食べるようになる。
その過程で気がついたのは、姫路と明石の間、高砂市周辺で目立ったたこ焼き屋が見当たらなかった点だ。そこにはたこ焼きや明石焼き、お好み焼きとは違ったにくてんという高砂独自のコナモンが、地域に深く根ざしているではないかと推理した。
今回、にくてんをこよなく愛する、高砂市在住の北野弘司さんにご案内いただき、地元の味を初体験した。訪れたのは、JR神戸線宝殿駅そばにある「まつぼっくり」。焼き方からじっくり見せてもらった。
まず驚かされたのが、その焼き方だ。大阪では、キャベツなどを生地に混ぜてから焼く「まぜ焼き」なのに対し、兵庫県内では、広島のように生地やキャベツ、具材を焼き重ねていく「重ね焼き」が主流なのだという。
にくてんを焼く鉄板の上には、常時、雪平鍋に入ったぼっかけがスタンバイされている。熱々の鉄板の上で、クレープ状に薄く伸ばされた生地の上には、まず、紅ショウガと天かすがちりばめられる。その後、雪平鍋のすじコンが、網ですくってのせされる。牛すじの「にく」と天かすの「てん」がにくてんの語源とも言われている。
そして、高砂のにくてんならではの味付きジャガイモの登場だ。高砂にはかつて煉瓦工場があり、そこで働く人々ににくてんは愛されてきた。にくてんのレシピができあがった過程は定かではないというが、燃えさかる炎を前にして汗水たらして働く煉瓦職人たちにとって、にくてんがスタミナ源であったことは想像に難くない。やはり安価で栄養価の高いすじ肉とともに、ジャガイモが職人たちの空腹を満たしたのではないか。
さらにその上から、千切りキャベツをどっさりと盛る。ネギを散らしたら、最後に再び生地をかける。焼き方は、完全に広島風だ。何度かひっくり返し、中までしっかり火を通していく。
火が通ったところで、刷毛でソースを塗る。しかし、塗るのは半分だけだ。
しばらく置いた後、ソースを塗った部分を内側にして、コテで半分に折る。そして半円形になったにくてんの上からさらにソースを塗ればできあがりだ。半円形に折りたたむのは、やはりにくてんの歴史が故だ。そもそもにくてんは店で食べるというより、自宅や駄菓子屋などで食べるものだったという。職人たちは、にくてんを包んで手づかみで食べたり、容器に入れて持ち帰ったりして食べていたという。二つ折りにするのは「持ちやすい形状」にするためだったのだろう。
同時にそばと卵が入るにくてんモダンも食べたが、こちらは二つ折りにはならなかった。焼き上がったにくてんをそのままに、焼きそばと薄焼きした卵を重ねたものだった。
令和の時代になってもにくてんは1枚500円という価格設定だった。安くて、うまくて、腹持ちもいい。きっといにしえの高砂の人たちは、左手で汗を拭いながら、右手に持ったにくてんをおいしそうに頬張っていたに違いない。
高砂という、市域の狭い、ごく限られた地域の、その中でもさらに限られた地域で食べられていたというにくてん。そこにはしっかり「地元らしさ」が映されていた。