台湾に行っても本場の台湾ラーメンは食べられない。おいしい台湾ラーメンが食べたければ、名古屋に行くのがイチバンだ。天津飯も同様。天津はもちろん、中国のどこに行っても「本場の天津飯」は存在しない。いずれも日本国内で誕生、命名された料理だからだ。実はスパゲッティナポリタンも日本発祥、しかもイタリアではなく、進駐米軍由来のメニューなのだ。
スパゲッティナポリタンが誕生したのは、横浜・山下公園前にある「ホテルニューグランド」だ。同ホテルは、終戦とともに進駐米軍によって接収された。米兵たちは、軍用食として配給されていたトマトケチャップを、同じくゆでて塩コショウで味付けした軍用食のスパゲッティとあえて食べていた。それを見ていた同ホテル2代目料理長の入江茂忠氏が、トマトケチャップでは味気なかろうと刻んだニンニク、生のトマト、トマトペーストを入れ、オリーブオイルをたっぷりと使ったトマトソースを考案した。
具としてハム、タマネギ、マッシュルームを炒め、スパゲッティを加えてトマトソースと合わせ、すりおろしたパルメザンチーズとパセリのみじん切りをふりかけた料理を、入江氏は完成させる。中世のころ、イタリアのナポリでパスタにトマトソースをかけて路上で売られていたことを知った入江氏は、この料理をスパゲッティナポリタンと名付けた。これがスパゲッティナポリタン誕生のストーリーだ。
実際にホテル内の「ザ・カフェ」でオリジナルのスパゲッティナポリタンをいただいた。戦後のナポリタン誕生当時そのままの本館は威厳のある建物だ。現在では通路の間口も狭く、階段も急だが、そこに歴史を感じる。
カフェとはいえ、歴史あるホテルの一施設。たとえナポリタンでも、きちんとテーブルセットが整えられる。ナプキンはもちろんホテルのロゴ入りだ。粉チーズもきちんと陶製の食器に盛られて運ばれてくる。紙筒入りの粉チーズは、一流ホテルにはそぐわない。ちなみにタバスコは添えられない。
スパゲッティナポリタンは皿の中央にこんもり盛られて登場した。楕円のアルミ皿などもってのほかだ。一口食べれば、手作りのソースはもちろん、食材一つひとつがとても吟味されていることがわかる。ソースは、ベースのトマトはもちろん、ニンニクやオリーブオイルなど、素材そのものを生かした味わいだ。塩味も控えめ。調味料の味ではなく、トマトソースそのものが味わえる仕様になっている。
ハムにも素性の良さがうかがえる。我々がスーパーなどで買うハムは、ぷりぷりとした蒲鉾のような食感を持つものが多いが、「ホテルニューグランド」のスパゲッティナポリタンに使われているハムには、明らかに肉の食感が残っている。肉を塩漬けして作ったという加工の過程が、舌を通じて伝わってくる。ぷりぷり感はない。
ソースがオリーブオイルを使ったトマトソースなので、ケチャップのように、麺に必要以上に絡みつかない。スパゲッティナポリタンを名乗りながらも、喫茶店や洋食店のそれとは一線を画した一流の味だ。もちろん、価格も2000円を超えるが、決してコストパフォーマンスは悪くない。
横浜にはもう1軒、スパゲッティナポリタンを語るうえで欠かせない店がある。庶民の飲食街・野毛にある「センターグリル」だ。こちらは「ホテルニューグランド」とは対照的な庶民派のスパゲッティナポリタンが味わえる。
「センターグリル」のオープンは、戦後間もない1946(昭和21)年。「ホテルニューグランド」の初代総料理長、サリー・ワイル氏が経営していた「センターホテル」で働いた初代・石橋豊吉氏が開業した。同店のモットーは「安くて栄養のある美味しいものを、沢山の人に気軽に食べてもらおう」というもの。
「ホテルニューグランド」で使っていた生トマトが高価だったため、代わりにケチャップを使ってスパゲッティ・ナポリタンを調理した。その意味では、現在、日本じゅうで広く親しまれているスパゲッティ・ナポリタンの原型を生み出したのが同店だ。
麺は、直径2.2ミリの極太スパゲッティ「ボルカノ」。ゆでて一晩寝かせてももっちり感を保つという。これに野菜とロースハムを加えて炒め、ケチャップで味付けする。ケチャップ投入後もしっかり炒めることで酸味が飛び、甘みが引き出されるという。昔ながらの楕円形をしたステンレス皿も創業当時からのものという。
実際に「センターグリル」のスパゲッティナポリタンを食べてみよう。テーブルにはウスターソースとタバスコが備えられている。フォークとスプーンは一緒に紙ナプキンに包まれている。テーブルに紙ナプキンはなく、食べ終えて口の周りをぬぐうのは、このフォークとスプーンを包む紙ナプキンだ。
粉チーズはあらかじめスパゲッティ・ナポリタンの上にかけられている。楕円形のアルミ皿の端には、千切りキャベツとポテトサラダが一緒盛りにされている。一見して「庶民派」だ。
千切りキャベツとポテトサラダにはソースをかけまわそう。粉チーズの上には、しっかりタバスコをふりかけよう。そんな食べ方を、料理が求めている気がした。ピーマンの緑が赤一色の中のいいアクセントになっている。ハムの食感はもちろんぷりぷりだ。食べ進むうちに、ケチャップで口の周りが真っ赤になる。ちなみに価格は770円だった。
米兵のケチャップ和えのスパゲッティを見かねてホテルのシェフが考案したこだわりの味は、結果的にケチャップに回帰して日本全国に広まり、愛されることになった。それもまた歴史というものなのだろう。生誕の地・横浜でスパゲッティナポリタンを食べ、そんなストーリーに触れてみるのもまた一興だろう。