「きらく」のソースカツ丼

ソースカツ丼文化圏を旅する ~ 長野県 駒ヶ根 ~(2)

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第2回(全4回)

駒ヶ根ソースかつ丼のまちおこし

誕生してから80年以上になる歴史あるメニュー、駒ヶ根ソースかつ丼が全国的に有名になっていくきっかけは、 ソースカツ丼をまちの名物としていこうと研究し始めたことです。 バブル経済が崩壊した1991(平成3)年頃からまちおこしを目的として、地元ではカツ丼といえばソースカツ丼というのが当たり前でしたが、それが全国的には珍しいことに気づき始まった取り組みでした。

1993(平成5)年に駒ヶ根ソースかつ丼会が結成されて、同年いきなり朝の全国放送で紹介された直後、事務局のある商工会議所に問合せの電話が鳴りやみませんでした。

1995(平成7)年にはソースを活かしたカツ丼によるまちおこしの取り組みに、全国的なソースメーカーであるブルドックソースから支援の申し入れがあり、対外的にも市民に向けても大きなPRとなる「ソースかつ丼のまち駒ヶ根」と書かれた大型看板を設置することができました。

ポテンシャルを秘めたご当地グルメ

翌年長野オリンピックの開催を控えた1997(平成9)年、首都圏での百貨店催事である長野物産展の際には、初めての参加に関わらず、駒ヶ根ソースかつ丼が おやき や信州そばを上回る人気を博しました。こうして活動から数年で、メディアや大企業からの注目、さらに東京での手ごたえを得た駒ヶ根ソースかつ丼は、ポテンシャルを秘めたご当地グルメであったと言えるでしょう。

駒ヶ根ソースかつ丼会の設立
駒ヶ根ソースかつ丼会の設立

しかしそもそもまちおこしの地域資源としてその当時考えたソースカツ丼は、すでに50年以上「カツ丼といえばソースカツ丼」として駒ヶ根に定着していたわけです。駒ヶ根のみならず周辺のまちの一部でも、カツ丼といえばソースカツ丼で、それは発祥のお店そのスタイルだったから、と言ってしまえばその通りなのですが、なぜ全国で標準的な卵とじカツ丼に変わっていかなかったのかという疑問があります。

カツ丼=ソースカツ丼の理由ワケ

一説には当時卵は高価で、一般家庭に卵が普及するようになるのは昭和30年代以降になってからという状況でお店でも使いにくかったのでは、という意見もありましたが全国的に見て駒ヶ根で特に卵が高価だったということはないようです。

一つ気が付くのは、各地でソースカツ丼がカツ丼のスタンダードになっているまちは、基本的に洋食店もしくは洋食を出す食堂がカツ丼の発祥のお店になっているということです。

現在でこそ、卵とじカツ丼も揚げたてのカツで作るお店が多くなっていますが、昔は卵とじのカツ丼はそば屋で揚げ置きのカツを卵でとじて出すのが一般的でした。しかしソースカツ丼は揚げたてのカツで作るため、その美味しさを先に知ってしまったお客さんに、揚げ置きのカツで勝負するのは難しかったのではないでしょうか。

今は無き名店「精養軒」
今は無き名店「精養軒」

ボリュームがあっても意外に食べきれてしまう

さて駒ヶ根ソースかつ丼は、地元はもちろん地域外のお客さんからも美味しいと評価を受けていますが、その味の秘密はまさにソースにあると考えられます。やや甘めでさらっとしていながらコクがあり、ボリュームがあっても意外に食べきれてしまう理由は、その独特のソースにあるのです。

見た目より あっさり としたソースカツ丼
見た目より あっさり としたソースカツ丼

駒ヶ根ソースかつ丼が生まれた昭和初期は、とんかつがお米に合うメニューとしてウスターソースが使われたわけですが、カツをそのまま丼にのせると考えたときに、ソースをかけて食べるのではなく、ソースにくぐらせごはんと一緒にかきこむどんぶり飯に合うように工夫がなされたと推察されます。

和食の盆にもマッチするビジュアル
和食の盆にもマッチするビジュアル

日本人の味覚に合うソース

実は駒ヶ根ソースかつ丼が多くの人に愛される秘密は醤油にあります。ソースカツ丼と言いながら、駒ヶ根ソースかつ丼のソースはお土産ソースも含め、醤油を絶妙に使われており、だからこそあっさりしていてお米に合い、ボリュームのあるソースカツ丼でも重たさをあまり感じません。

日本人の好むお米に合うソースは醤油をベースとしてたっぷりの野菜や果物、香辛料や甘みを加えたものになりました。発祥の喜楽のソースは醤油をベースにしたものであり、駒ヶ根ソースかつ丼のソースだけでもご飯がいくらでも食べられてしまうというのは、日本人の味覚に合うようになされた工夫の賜物なのかもしれません。

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