自然薯を含む山芋類は現在、北海道と青森で全国の生産量の7~8割を占めるほど多く生産されている。しかしかつては、自然薯で作るとろろ汁は、東海道五十三次の20番目の宿場・丸子宿の名物料理として広く知られ、峠越えの旅人からは「精が付く」と喜ばれていた。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」では、主人公の弥次さん・喜多さんが丸子宿のとろろ汁を食べられなかったことが描かれ、これを受けて歌川広重が「東海道五拾三次」の中で、ふたりがとろろ汁を食べる様子を描き、念願を叶えさせるなど、とろろ汁が丸子宿の名物として広く知れわたっていたことがうかがい知れる。

とろろ汁が丸子宿の名物になったのは、同地域で良質な自然薯が生産されていたことがその背景にある。主たる生産地は牧之原台地の一帯だ。そもそも山に自生する自然薯は発見が難しく、くねくねと曲がって生えるため、掘り出すのもひと苦労だった。そこで、山口県柳井市の発明家・政田敏雄氏が自然薯の栽培法を編み出し、昭和50年代の初頭から全国へと普及させていき、丸子にも政田氏が訪問、同地区の自然薯生産の足がかりになった。

静岡県は中部に限らずとろろ汁をよく食べるが、実は地域によって味付けが微妙に違う。牧之原台地周辺では、自然薯を皮ごとすりおろし、サバやカツオなど魚のだしと味噌、あるいは、魚だしのみそ汁ですりおろした芋を伸ばして、麦飯にかけて食べるのが一般的だ。山の芋でありながら海にも近いため、山の美味と海の美味とを合わせて食べるのだ。一方で、富士川より東の地域では味噌ではなくしょうゆを使い、山間部では川魚や煮干しをだしに使う。

まずは江戸時代からの伝統を受け継ぐ丸子宿の「丁字屋」を訪ねてみよう。「丁字屋」の創業は1596(慶長元)年、戦国時代のことだ。開業時はお茶屋だったそうだが、400年以上にもわたり同じ場所で商売を続けてきた。現在の店舗建屋は、江戸時代に作られたもので、静岡県内で現存する最古の飲食店だ。2022年には国登録有形文化財となった。

観光名所と言うこともあり、週末ともなれば、たいへんな混雑ぶりだ。「丁字屋」で使う自然薯は、土本来の力を活用する「生態系農法」と呼ばれる農法で生産される。自然の生態系を守り、安易に農薬や化学肥料を使わず、病害虫に対しては、自然薯が本来持つ自己防衛機能など生命力を最大限活用する。自然そのもの、自然薯本来の味わいが特徴だ。

だしは焼津産のかつおぶしを使う。そこに天然酵母を使った自家製の白味噌を入れてみそ汁を作る。そこにすりおろした自然薯をあわせれば、歴史と伝統に裏打ちされた「丁字屋」のとろろ汁が完成する。これを麦飯にかけて食べる。素朴な味わいだが、実に深みのある柔らかい味だ。

せっかく「丁字屋」まで足を運んだからにはとろろ汁だけではもったいない。様々な自然薯料理もいただいた。興味深かったのは、すりおろした自然薯とすりおろしていない切っただけの自然薯の食感の違いだ。すりおろせば、糸を引くような粘りけが出るが、切ったままではさほど粘りけを感じない。すっきり爽やかな食感だ。

その食感のコントラストを生かしたのが、梅とろや酢とろといった料理だ。すりおろしたねっとりとしたとろろに細かく刻んだ自然薯がトッピングされ、それを酢や梅肉で味付けしてある。ねっとりとしたすりおろしの食感と生のしゃきしゃきした食感が同時に味わえる。もちろんとろろ汁が看板メニューなのだが、すりおろしていない自然薯もぜひ食べるべきだろう。

生産地の牧之原台地にも足を運んだ。訪ねたのは、自然薯やお茶生産農家でもある「とろろ屋ととろ」だ。同店は、自然薯農家を両親に持つオーナーが立ち上げた「生産者の顔が見えるレストラン」。「丁字屋」とはまた違った視点だが、食材に対するこだわりは負けていない。それは、だしにサバを使った自慢のとろろ汁とバラエティー豊かな食材との組み合わせに現れている。

同店一番の人気メニューは、金豚王カルビとろろ丼。中国原産の希少な金華豚と静岡県のフジロックを交配した、静岡県産の高級ブランド豚肉「金豚王(きんとんおう)」の焼肉にとろろをかけて食べる。たれの濃厚な味わいに、滋味深いとろろ汁が負けておらず、見事なハーモニーを醸し出す。

二番人気は漬けまぐろとろろ丼。そう、山かけ丼だ。定番メニューになるほど相性がいい食材同士だけに、そのマリアージュは完璧だ。しかも、とろろ汁にしょうゆをかけるのではなく、まぐろが漬けになっている点が心憎い。味噌ベースのとろろ汁なので、まぐろにしょうゆを染み込ませておくことで、とろろ汁の味噌の味を邪魔しないのだ。

牧之原台地の西に位置する掛川市でもとろろ汁はよく食べられている。掛川市の山間部では、11月から3月までに収穫される特産の自然薯をすりおろし、サバやカツオのだし、味噌汁と混ぜ合わせた郷土料理を「掛川いも汁」と呼んている。

掛川のいも汁を代表する店が「掛川いも汁処とろろ本丸」だ。皮ごと自然薯をすりおろすのは、皮や灰汁に風味と元気の素がつまっているからだという。まずはコンロで焼き、ひげ根を除去する。たわしなどで皮が残る位に軽く洗ってから水気を取る。アクの強い首の部分と灰汁の少ない先の方、一部分ではなく、なるべく全体を使うようにしているという。

ここに、かつおだしと白味噌仕立ての味噌汁を少しずつ加えていけば出来上がりだ。お薦めの伸ばし具合は、半分が麦飯の上に乗り、半分が御飯に浸し込む程度だという。これをすするようにして食べると、その味と風味が存分に味わえる。適度に皮が残っているのと、だしと味噌の味わいが、ただでさえ豊かな味の自然薯の味をいっそう膨らませてくれる。

全国各地で味わえるとろろ汁だが、長い歴史と伝統に裏打ちされた静岡のとろろ汁には他の地域にはない独特の美味しさがあるような気がする。長年の研鑽で培われた味なのだろう。栄養があり、胃腸にも優しいとろろ汁。静岡県中部を訪れた際には、ぜひ食べてきてのほしい。




