三里塚のジンギスカンは永遠に不滅です

投稿日:2026年6月19日 投稿日: (更新日:

2026年4月4日、成田国際空港滑走路わきにある三里塚さくらの丘で、満開の桜を愛でながら羊料理やジンギスカン、音楽ライブ、ワークショップなどが楽しめるイベント「ひつじと桜のジンギスカンマルシェ」が開催された。今回で2回目の開催となる同マルシェは、成田空港開港以前、同地にあった御料牧場と牧場にかかわる地元の文化に改めて目を向けてもらうために開催された食を中心に据えたイベントだ。

今、三里塚は滑走路に

成田とジンギスカンにはどのようなゆかりがあるのか。成田の中心市街地は、言わずと知れた新勝寺を中心とした門前町で、今の空港の敷地の多くは三里塚と呼ばれる一帯だ。日本の政治の中心である江戸に近く、なだらかで広大だったその地形は馬の放牧場として古くから利用されてきた。やがて武士の世が終わり、国を開いた日本は、アジアを虎視眈々と狙う欧米列強に対抗すべく富国強兵の政策を打ち出す。想定される戦地は、日本の野山から広大で寒冷な大陸へと変わる。木綿や麻などに代わり、明治政府軍には、ウールの軍服が必要になる。

今も三里塚に残る御料牧場記念館

「富国」に伝統的な絹織物が輸出される一方で、「強兵」のために急ぎ緬羊に着手する。幕府の軍馬放牧地は、明治維新とともに皇室へ食材を献上する御料牧場へと姿を変えていた。日本軍とはすなわち天皇陛下が統率する軍隊だ。御料牧場が緬羊に力を注いだことは想像に難くない。

ジンギスカンは三里塚の郷土料理

緬羊、羊、ジンギスカンとなれば、誰もが北海道を思い浮かべるだろう。事実、緬羊は北海道の開拓にも採用される。しかし、クラーク博士に代表されるように、北海道の農業指導はアメリカが主導権を握っており、産業革命に伴ってオーストラリアの緬羊が隆盛を極める中で、北海道は生産地としてあまり重視されてこなかったようだ。日本の朝鮮半島や中国東北部への進出が始まるまでは、日本の緬羊の中心は明らかに三里塚だった。地元の人たちにも羊肉を焼いて食べる文化が定着していく。

中国東北部で肉と言えば羊肉

その潮目が変わるのが、日清日露戦争後の日本の大陸への進出だ。広大な未開の地を求めて、戦局の悪化で移り住んだ北米を追われた日本移民らが大陸での緬羊に力を注ぐべく居を移す。そもそも中国東北部は「肉と言えば羊肉」の土地柄だ。移り住んだ日本人がその味に魅了される。中には、岩手県遠野のジンギスカンのように、緬羊発祥ではなく、派兵された中国東北部でジンギスカンの味に魅了され、故郷に持ち帰って名物になった例もある。

在りし日の緬羊会館

緬羊の主力が大陸に移る一方で、三里塚の緬羊、ジンギスカンは昭和まで累々と歴史を紡いできた。しかし、それが突如一変する。成田空港の建設だ。地盤が強固でなだらか、広大な地形、さらには国有地という好条件もあった。もちろん、住み慣れた故郷を簡単に手放すわけにはいかない。しかし、そこに故郷を思う気持ちとは別の思惑を持った外部者が加わり、凄惨を極める闘争に陥ってしまった。

土間で七輪がかつての「緬羊会館」のスタイル

三里塚という地名は負のイメージを背負ってしまい、声高に話すのをはばかられるようにすらなる。しかも、三里塚の中心部は、滑走路を挟んでターミナルの裏側だ。三里塚の地元住民は、折あるごとに皆でジンギスカン鍋を囲んだというが、それが華やかな空港の表舞台で取り上げられることはあまりなかった。

「野沢羊肉店」の羊肉

しかし、そんな地元民のジンギスカン愛が、その後も三里塚ジンギスカンを生きながらえさせてきた。観光客らにはあまり知られた存在ではなかったが、緬羊業者の組合事務所を改造したという「緬羊会館」がジンギスカンの提供を続け、「野沢羊肉店」や「宮崎畜産株式会社ミートみやざき」が、地元民の羊肉のニーズにこたえ続けてきた。

山本佳典さんによる詳細な歴史展示も

しかし、三里塚のジンギスカンのアイコン的存在だった「緬羊会館」がご主人の高齢化もあって20年に閉店してしまう。「野沢羊肉店」も予約のみでの営業だ。いよいよ、三里塚ジンギスカンも風前の灯火かと思ったところで、地元が動き出す。今回、日本と三里塚の緬羊、肉食文化を調べるにあたって、山本佳典さん著「羊と日本人」をむさぼり読んだ。その精緻なファクトの積み上げと、点在する情報の紐づけには驚かされた。

佐藤達也さんが飼育する羊

同様に、山本佳典さんの集積した情報に突き動かされたのが、イタリアンシェフ出身の佐藤達也さんだ。21年、成田市内公津の杜に「成田を羊の町にする!」の思いの下、「羊と鹿とときどき猪」をオープン。25年からは、サフォーク種を中心に、食用羊の飼育を始めた。

佐藤達也さんはサフォーク種の飼育も始めた

まだ出荷できる段階ではないが、今後飼育頭数を増やして行き、2年後をめどに「羊と鹿とときどき猪」で自社牧場で育てた羊の肉を提供したいとしている。国内で流通する羊肉の大半が輸入肉だ。国産肉を、三里塚の歴史とともに全国に紹介できるようになれば、かき消された「ジンギスカンの聖地の歴史」にも再び光が当たるに違いない。

「野沢羊肉店」のたれは御料牧場時代から受け継がれてきた秘伝の味

22年には、成田空港会社が事業の一環としてクラフトビールを発売した。地域連携としての県産オリーブオイルや・山椒を隠し味に使用したクラフトビールだ。開発当初「三里塚のジンギスカンに合うビール」も計画していたという。商品化は依然あきらめてはいない。

山車とジンギスカンが交錯した公和祭

何より熱いのが地元の皆さんだ。三里塚出身で、地元で何か催事があればジンギスカンは欠かせないと語るのは戸村義則さん。「ひつじと桜のジンギスカンマルシェ」で野外ジンギスカンを取り仕切り、山車なども出て、京成公津の杜駅前を盛大に盛り上げた「公和祭」でもジンギスカンを来場者に提供した。

何かあればみんなでジンギスカン鍋を囲む

七輪で炭をおこし、来場者のテーブルを整えれば、裏に入り、法被姿の地元の若者たちとジンギスカン鍋を囲む。三里塚のジンギスカンは、地元の仲間のコミュニケーションの中心にあるとともに、訪れてくれた客へのもてなしでもあるのだ。この「笑顔の輪」がある限り、三里塚のジンギスカンが絶滅することなどありえないだろう。さぁ、ちょいと電車に乗って三里塚へジンギスカンを食べに行こうではないか。

旧岩崎家末廣別邸

想いは三里塚だけではない。成田市に隣接する富里市は、古くから農業の盛んな土地で、三菱創業の岩崎家もこの地に農園を構え、戦後の公職追放以降は三代目当主・岩崎久彌が富里に居を移し、残る生涯を実験的な農業に捧げた。畜産から農耕に至るまで日本の食の歴史の大きな跡地が、この成田空港を囲む一帯には数多く残されているのだ。でっかいタイヤで踏んづけて通るだけではもったいない。この土地で育まれた近代日本の豊かな食の履歴書に、ここでじっくり目を通してもらいたい。

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