カツ丼をめぐる冒険(1)カツ丼は明治時代に甲府で誕生した!

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カツ丼大正時代発祥説を覆す?甲府の明治発祥説は20年前の地元紙から

いまや国民食の一つともいえるカツ丼。カツ丼といえば卵とじというのが一般的なイメージだろう。ところがカツ丼といえばソースカツ丼を指す地域が福島・群馬・長野・福井の一部にある。更に卵でとじないカツ丼は、醤油だれのカツ丼が北海道、新潟、群馬の一部、デミグラス・ケチャップ系ソースが岡山・岐阜の一部などに存在する。

全国的には卵とじカツ丼がスタンダードで、非卵とじは一部の変わり種、という勢力図になっている。そのためソースカツ丼などは卵とじカツ丼から派生した丼だと思っている人も少なくないだろう。

ところがカツを載せたどんぶりものを「カツ丼」と呼ぶのなら、ソースカツ丼のほうがむしろ誕生が古いといわれている。また各地域のカツ丼の歴史を紐解いてみると、卵とじカツ丼とソースカツ丼は全く別の道筋で進化を遂げており、どちらかが先に生まれて、それが進化・変化したというものではないようだ。

さてカツ丼発祥には現在まで3つの定説がある。ソースカツ丼説が二つ、卵とじカツ丼説が一つだが、それぞれ早稲田界隈で大正時代に生まれたものとされている。

3つの発祥説は改めて紹介するとして、これら早稲田大正発祥3説に対して、あまり知られていないが、今から20年以上前の1995年9月の甲府の地元紙「山梨日日新聞」で、明治30年代後半に甲府の蕎麦の老舗「奥村本店」でカツ丼が提供されていたことが紹介されている。

甲府市・奥村本店のカツ丼

ここで甲府のカツ丼を説明しておきたい。甲府のカツ丼はいわばカツライス丼。卵でとじないカツ丼は、全てソースなり醤油なりで味付けされた状態で提供されるのだが、甲府では全国で唯一、揚げたままのトンカツが丼に載せて提供され、自らソースで味付けする。

ソースカツ丼であればキャベツが載る例は多いが、甲府ではポテトサラダ、トマト、レモン、パセリなど、カツ丼には見慣れないものが丼に収まる。

こうした独特の形の甲府のカツ丼は明治30年代後半に考案され、それが現代まで脈々と受け継がれている。その発祥の店が、江戸寛文年間の創業で360年以上の歴史を持つ老舗そば店の「奥村本店」だ。

発祥の物語は、現在の当主、油井新二氏の曽祖父に当たる油井新兵衛氏が明治30年代前半に東京に出かけた際に食べたカツレツに感動し、メニューに取り入れようとしたことに始まる。当時そば屋で出すご飯ものは、親子丼や天丼などで出前も多かったことから、カツライスのごはんとおかず別盛のスタイルではなく、丼スタイルにしたのではないかとのことだ。

当時のメニュー表などが残っていないか聞いたところ、甲府は第二次大戦時に空襲に合っており、持ち出せたのはこの写真のみ。

明治36年8月7日撮影の奥村本店

この撮影後にのれん分けされた「若奥」(現在は閉店)の店主が、創業時のメニューは「奥村本店」と同じでスタートしており、カツ丼も創業時から出していたと記憶していた。つまり少なくとも明治30年代後半には甲府にカツ丼が存在していたということになる。

古くて新しい説、カツ丼の甲府明治時代発祥説。時代的には甲府説が古いが、早稲田大正発祥3説が、甲府に影響を受けた可能性は低いと考えられ、それぞれ独自の発想で生まれたカツ丼であろうことは、そのスタイルの違いから推測できる。
和の代表格ともいえる老舗のそば屋と、当時の最先端の洋食であったポークカツレツが110年以上前に出合い、ご当地カツ丼として現在も愛され定着しているというのは、何ともロマンティックな話である。

奥村本店

山梨県甲府市中央4-8-16
055-233-3340

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