みちのくひとり食べ① キャベツの上の黒い海老

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 東京から福島県郡山市に移住して最初に浮かんだ言葉は「郡山は風の街」だった。住まいを探すため何度かこの街に通ったが、その都度強い風が吹いていた。ようやく新しい住まいをみつけ引っ越して3カ月。マンションの4階ということもあるだろうけれど、ベランダに干した洗濯物はちぎれそうにはためき、あっという間に乾いてくれる。

 大きな通りの名前を覚えた。同じ系列のスーパーの中で、比較的すいている店舗も見つかった。JAが運営する大きな産直の店をのぞく楽しみもできた。

 郡山は仙台に次いで東北第二の都市なので、全国チェーンの店は大方そろっている。一方で個人商店も健在なのがうれしい。特に食堂の存在感はあなどれない。昼時になると近所の食堂の駐車場は様々な車で埋まる。混雑を避けて遅い時間に入ってみた。「ラーメン」の幟が翻っていた割には席の半分を占めている客が食べているのはご飯ものの定食ばかりだ。私はとんかつ定食を注文した。

 愛想がよく、声が明るい女性が運んで来たとんかつ定食に少したじろいだ。カツのサイズは埼玉県秩父市が誇る「わらじカツ」に匹敵し、厚さではそれを凌駕している。さらにご飯が東京で言う「富士山盛り」だった。無理をしない程度に食べながらテーブルのメニューを眺めていたら「ソースかつ丼」の文字が目にとまった。

福島県のソースかつ丼というと会津地方のそれが有名だ。私もかつて会津若松にソースかつ丼を食べに行き「卵とじのソースかつ丼」という説明のしにくい物件に遭遇したことがある。確かに郡山と会津はお隣さんであるし、市内でも頻繁に「喜多方ラーメン」の看板を見かける。しかし、ソースかつ丼まで浸透してきているのだろうか。

改めてスーパーの弁当売り場を見れば、当たり前のようにソースかつ丼が並んでいる。その隣の卵とじのかつ丼は「煮込みかつ丼」として売られている。つまり、郡山はソースかつ丼と卵とじかつ丼の併存地域なのだ。

実際のところはどうなのか。福島県内で多店舗展開している「かつ丸」に出かけた。ソースかつ丼には楕円形のとんかつがのったものと「海老ヒレソースかつ丼」の2種類がある。この店は創業当時からジャンボ海老かつが人気を集めてきた。それなら海老かつをソース味で試してみようじゃないか。ということで登場したのがこれ。

海老フライ、あるいは海老かつにはタルタルソースが添えられていることが多い。しかしこの店の海老はご飯に敷かれた千切りキャベツの上に、真っ黒なソースにまみれて鎮座している。こんなのを見たのは初めてだ。

食べてみれば身が先っぽまで詰まっていて、甘くて少し酸っぱいソースとの相性がいい。ヒレカツも箸で切れるのではないかと思うほど柔らかい。これで税抜き1480円。酷暑のせいで豚があまり出産しなくなり、豚肉の値段はずっと上昇基調という中で、このクオリティーはなかなかのものだろう。

家に戻ってネットで検索したら、郡山のソースかつ丼の多様さが浮かんできた。ソースかつを別皿で提供する「ソースかつ定食」がある。海老ととんかつをソースにくぐらせた「海鮮ソースかつ丼」やチキンのソースかつ丼というものもあった。

ウスターソースが最も活躍しているのはお好み焼き、たこ焼き、焼きそばの関西であり、日本ソース工業会加盟のソースメーカーは栃木県どまり。福島県以北に加盟社はない。つまり東北、北海道はソース文化が希薄な地帯だ。その中にあって会津や郡山のソースかつ丼は孤高の戦いを繰り広げている。

野瀬泰申(のせやすのぶ)/ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会(愛Bリーグ)会長

1951年福岡県生まれ。食文化研究家。東京都立大卒後、日本経済新聞入社。東京・大阪社会部、大阪文化部長、特別編集委員・特任編集委員を歴任。大阪勤務時代に「ウスターソースで天ぷらを食べる」人々を見て「食の方言」に気づき、取材を続けている。2008年までは日本レコード大賞の審査委員・副審査委員長も務めた。「ご当地グルメでまちおこしの祭典!B-1グランプリ」主催団体「ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会の設立に関与。2018年より現職。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。

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