漁師が片手で食べるおかかの太巻き 富津の鉄砲巻き (トップ写真) 高品質なのりを「浅草のり」と呼ぶように、かつて東京湾では盛んにのり養殖が行われていた。しかし、明治以降、都市化とともに湾岸の工業化が進み、のりを育んだ海の多くは埋め立てられ、工場用地などになってしまった。今でものりの養殖を手がけているのは、東京湾の出口付近の千葉県富津市など、ごく限られた地域になってしまっている。富津市は、千葉県の全のり生産量の7割を占めるほどの「のりのまち」だ。そんな富津で、漁業に携わる人々の携行食として愛されてきたのが、鉄砲巻きだ。 (写真:片手で食べる) 鉄砲巻きは、かつおぶしをしょうゆで味付けしたものを具にした太巻き寿司だ。名前の由来は、見た目そのまま、鉄砲のような筒型だからだ。鉄砲巻きという呼び名も含めて、全国各地に同様の巻き寿司は多い。しかし、その多くは、かんぴょう巻きであったり、寿司屋で提供されることが多いこともあって、酢飯ののり巻きであることが多い。富津の鉄砲巻きは、白飯そのままで海苔巻きにするのが、最大の特徴だ。「おかかのおにぎり」を巻物にした、と言うと分かりやすいだろう。 (写真:ボリューム満点の太巻き) 2025年3月14日付で、富津の鉄砲巻きが、文化庁「令和6年度食文化機運醸成事業・近代の100年フード部門・明治・大正に生み出された食文化」に認定された。「明治・大正に生み出された食文化」部門は、日本の洋食化と軌を一にすることから肉料理などの多いジャンルだが、海の町らしく、海産物主体の鉄砲巻きが選ばれている。 (写真:具はしょうゆで味付けしたかつおぶし) のりとかつおぶし、ご飯、しょうゆとどこの家庭にも必ずあるスタンダードな食材だけに、基本は家庭料理だ。手早く調理することができ、海での仕事の合間でも、手を休めずに、片手で持ちながら食べられることから、漁師の携帯食として古くから親しまれてきたという。 (写真:汁物などとセットでの提供が多かった) 現在富津商工会では、鉄砲巻きの100年フード認定を記念して、市内の飲食店が協力して鉄砲巻きを提供してアピールする「富津鉄砲巻きフェア」を開催している。参加店舗は11店。それぞれ伝統の味に加え、各店が趣向を凝らしたオリジナル鉄砲巻きも開発し、富津を訪れる人々にその魅力を訴求する。 (写真:「寿司活魚料理いそね」の鉄砲巻き) さて、実際に富津を訪れて、鉄砲巻きを食べてみよう。まず最初に訪れたのは、あなごを使った富津名物のはかりめ丼の人気店「寿司活魚料理いそね」だ。人気店らしく、平日の午前11時の開店時間に、すでに入店待ちの状態だった。まずは、あえてシンプルな鉄砲巻きを選んだ。450円。 (写真:その形状はまさに「鉄砲」) その形状はまさに「鉄砲」。太巻きと言いつつ短くは切らずに筒状で配膳された。非常に好感が持てたのは、ご飯としょうゆで味付けしたかつおぶしの馴染み具合。他の店の多くが、中心に味付けかつおぶしを入れて巻き寿司にしているのに対し、ご飯全体にまんべんなくかつおぶしの味が染みわたっていた。さすがは人気店だ。 (写真:いそね特製鉄砲巻) 念のため、自慢のはかりめを加えたいそね特製鉄砲巻きも試してみた。中に巻かれているのは、あなごの甘露煮、甘い煎り卵、しょうゆで味付けしたかつおぶしだ。ご飯に味付きかつおぶしがまんべんなく染みわたっているうえに、人気のあなごも加わり、片手で食べるのが恐れ多いくらい上品な巻物に仕上がっている。 (写真:「ひろ寿司」の鉄砲巻き) 続いて訪れたのは「ひろ寿司」。こちらも、店独自の鶏の照り焼きと炒り卵を香ばしく焼き上げ、三つ葉、味付きかつおぶしとともに巻いた寿司屋のコケコッコー親子鉄砲巻きなるメニューも用意されていたが、やはりオーソドックスな鉄砲巻きが用意されていたので、そちらを選択した。中心部に味付けしたかつお節を配したいかにも太巻きというスタイル。切り方は注文に応じてくれる。寿司屋の太巻きらしく6枚切りにしてもらった。 (写真:「軽食喫茶アイリス」の鉄砲巻き) テイクアウトができるのは「軽食喫茶アイリス」だ。素材を地元産にとことんこだわっているのが特徴だ。ご飯は富津産のコシヒカリ、のりも新富津漁業協同組合が手掛けたもの、さらにはしょうゆも、地元のしょうゆ蔵である宮醤油のものを使っている。素材にこだわる一方、全体の味は非常にシンプルだ。 (写真:「地魚鮨船主総本店」の鉄砲巻き) JR内房線浜金谷駅前、東京湾フェリーの乗り場前に店を構える「地魚鮨船主総本店」は、いまどきの回転ずしスタイルで鉄砲巻きを提供する。かつおぶしもしょうゆもやや控えめだ。店員に話を聞くと、本来は肉体労働の合間に食べる、もう少し味が強いものという認識だそうだが、観光地の寿司店らしく、上品な味に仕上げている。 (写真:「かん七」の鉄砲巻き) 「かん七」は、広い座敷、これまた広い駐車場が自慢の、地元の宴会などを得意とするお店といった雰囲気。地魚へのこだわりがセールスポイントだ。同店の鉄砲巻きもやはりシンプル。「地魚鮨船主総本店」に比べてやや味付けが濃く、いかにも漁師の携行食といった味わいだった。 (写真:フェアは年内いっぱいの開催) 「富津鉄砲巻きフェア」は年内いっぱいの開催だ。シンプルな、いかにも「地元の日常食」といった装いで、果たしてフェア終了後もお店で提供し続けられるのかは不明だ。ただ、価格も安く、日本人なら誰もが好むであろう素朴な味わいだけに、できればフェア終了後も、はかりめ同様、富津の名物として、観光客でも食べられ続けることを期待したい。まずは年内に、一度富津を訪れて、その味を体験してみてほしい。