痛いほどの強烈な辛さ 坂城のおしぼりうどん (トップ写真) 長野県というと、冷涼な気候で、米や小麦の栽培に適さず、そばが名物というイメージが強い。しかし、千曲川、木曽川、天竜川など山々から流れる雪解け水に恵まれており、新潟県同様、実は米作は盛んだ。まちの中央を千曲川が流れる坂城町も米作りが行われ、恵まれた気候風土から裏作に麦を栽培するほどだ。そのため、坂城町では小麦を使ったうどんがよく食べられている。かつては、昼にうどんを食べ、夜はご飯という食生活が、同地では一般的だったという。 (写真:坂城町の郷土料理、おしぼりうどん) そんな坂城町を代表するうどんの食べ方がおしぼりうどんだ。おろしたての辛味大根を絞った「おしぼり」と呼ばれるしぼり汁に味噌を溶かして薬味を加え、ゆでたてのうどんをつけて食べる。だしではなく、大根のしぼり汁を使うのが特徴だ。信州は信州味噌の地元。辛味大根のしぼり汁が信州味噌と相性がよく、江戸時代から明治時代にかけて広く食べられるようになった。 (写真:ねずみ大根) 使うのは、伝統野菜のねずみ大根。普通の大根が1キロ超あるのに対し、250〜300グラム程度とかなり小さい。太さは7〜8センチ、長さも12〜13センチとずんぐりしており、手のひらに乗るほどだ。毎年、9月初旬に種をまき、霜がおり始める11月下旬ごろまでに収穫する。形はふっくらと下ぶくれで尻尾のような細い根が出ているところがネズミの後ろ姿そっくりだ。 (写真:ねずみのしっぽ?) 坂城町は年間降水量が800ミリ程度と少なく、野菜の栽培には適しておらず、現在は果樹栽培が盛んな地域だ。しかし、古くからねずみ大根は「鍬で耕せば、火花が出るような小石混じりの畑」が栽培に適しているとされ、他の土地ではねずみ大根本来の形や風味は出ないという。 (写真:寒さに備え、でんぷん質を蓄える) 米どころとはいえ、坂城町は内陸だ。冬の寒さは厳しい。11月に入り寒さが厳しくなってくると、ねずみ大根自身が寒さから身を守るため、内部にでんぷん質を蓄えるため、辛さ以外にも奥行きのある味になる。強い辛味だけでなく、まろやかな甘い後味があり、地元では「あまもっくら」とその味を表現する。沢庵漬けやおやきの具にも使われるが、やはり、おしぼりうどんの存在感は大きい。 (写真:絞り汁だけをそばつゆとして使う) おしぼりうどんは、ねずみ大根をおろし、絞る。絞り汁だけをそばつゆとして使うのだ。味噌のほか、ネギ、かつおぶし、くるみなどの薬味を好みで入れ、そこに釜揚げうどんを浸して食べる。その辛さは強烈だ。辛さが口の中いっぱいに広がり、汗をかくほど体全体が温まってくる。 (写真:「さかき地場産直売所あいさい」) 実際に坂城町に足を運んでおしぼりうどんを食べてみた。手軽に食べられるのは、しなの鉄道のテクノさかき駅からも近く、北国街道=国道18号線沿いにある「さかき地場産直売所あいさい」の中にある食堂だ。地元産品の直売所にしては規模も小さくこぢんまりした店なのだが、なかなかどうして、本格的なおしぼりうどんが食べられる。 (写真:「さかき地場産直売所あいさい」のおしぼりうどん) 直売所併設の食堂にもかかわらず、うどんは手打ちだ。注文を受けてから生麺をゆで始める。なので、注文してからできあがるまでしばらく時間がかかる。セルフサービスでカウンターに出てきたおしぼりうどんはゆでたてで、丼からは盛大に湯気が立ち上がっている。いかにも美味しそうなうどんだ。 (写真:味噌、かつおぶし、刻みねぎ) この後もう2軒おしぼりうどんを食べ歩いたが、提供スタイルはほぼ一緒。麺と、器にはたっぷりのねずみ大根の絞り汁。薬味は、味噌、刻みねぎ、かつおぶした。まずは、ねずみ大根の絞り汁だけを味見してみる。いやはや強烈な辛味だ。ゆであげの麺を浸して食べようとすると、あまりの辛さに咽せてしまう。寒くなり始めて、乾燥肌が気になる時期だったこともあり、口の周りがひりひりと痛くなるほどだった。 (写真:絞り汁だけで食べてみる) 「味噌が足りなかったら言ってください」。これは、次に訪れた「かいぜ」でも同じことを言われた。最初は少しずつ味噌を溶いてみたのだが、結果的には配膳された味噌をすべてねずみ大根の絞り汁の中に入れてしまった。決して辛さが弱まるわけではないのだが、味噌が入ることで辛さだけでない味わいが出てくる。味噌との相性が抜群なのだ。かつおぶしと刻みネギはあくまで薬味。味を支配するのはねずみ大根の絞り汁と味噌だ。 (写真:味噌との相性が抜群) つゆが特徴的なのはもちろんだが、出色なのはうどんの美味しさ。「ここは本当にそばどころ信州なのか?」と思うほどうどんが美味しい。熱々ながらしっかりコシがあり、噛み応えじゅうぶんで、小麦の味もしっかり感じられる。加水は控えめで、しっかりと量があるため、ゆっくりと食べていると、胃の中で膨らんでくるのが分かるほどのボリュームだ。 (写真:「かいぜ」) 「かいぜ」は山の斜面に位置する一軒家風の店。行き止まりの道の先に駐車場があり、そこから徒歩で斜面を登っていく。足下に広がるのはねずみ大根の畑だ。窓を大きく取った座敷からは、そんな大根の畑が見渡せる。こちらの自慢も手打ちうどん。やはりしっかりとコシがあり、非常に美味しいうどんだ。長野県で、こんなに美味しいうどんに連続で出合えるとは思ってもみなかった。 (写真:「かいぜ」のおしぼりうどん) 「あいさい」も「かいぜ」もおしぼりそばも用意するが、メニューの筆頭はいずれもうどんだった。「かいぜ」は店頭の提灯も、店の中の暖簾も「うどん」だった。そばを試してみたい気持ちもあったが、あまりのうどんの美味しさに、そばの存在を忘れてしまっていた。 (写真:「びんぐし湯さん館」のおしぼりうどん) 日帰り温泉、眼下に千曲川を望む露天風呂が自慢の「びんぐし湯さん館」でもおしぼりうどんを食べてみた。温浴施設併設の食堂なので、こちらは手打ちうどんではなかった。ただ、ねずみ大根の絞り汁と味噌のつゆは、「あいさい」や「かいぜ」と変わらない。ねずみ大根をおろして絞り、味噌と合わせるだけなので、変わりようがないのだろう。とはいえ、「あいさい」や「かいぜ」の手打ちうどんの美味しさを考えると、せっかく坂城町まで足を運んでおしぼりうどんを食べるなら、手打ちの店を選んで、そばではなくうどんを食べるべきだと思った。 (写真: 坂城町のゆるキャラ「ねずこん」) 福井・越前の辛味そばや同じく長野・高遠のそばなど辛味大根とそばを合わせて食べる地域はいくつかある。一方で、うどんとの組み合わせは坂城町ならではだろう。香りの強いそばが辛味大根と相性がいいように、辛味の強いめずみ大根の絞り汁には、味もコシもしっかりとしたうどんが合うようだ。ぜひ、手打ちうどんとの組み合わせで食べてみてほしい。