集団移住がもたらす食文化の遷移 君津のリトル北九州 (トップ写真) 世界の歴史を見ると、移民は単に別の地域に人が移り住むというだけでなく、自らの生活習慣を新たな土地に持ち込むことにもつながる。例えば、中国移民が創り出したチャイナタウンは、アメリカだけでなく、日本の横浜中華街や神戸南京町などを創り出した。また、戦前に日本へ徴用された韓国・朝鮮の人々が多く働いた鉱山や工業都市では、ホルモンなどの半島由来の肉食文化が根付いていることが多い。その傾向は、海外移住に限らない。国内移住でも、特に集団移住の場合、遠く離れた地にコミュニティーごと移り住む例は多い。 (写真:遠野のジンギスカン) B−1グランプリなどで全国的に知られるようになった十和田バラ焼きは、元々は青森・三沢で誕生している。1966年に発生した大火で、被災者の多くが三沢から十和田へ避難した際に、バラ焼きも十和田へと遷移した。岩手・遠野のジンギスカンに至っては個人が持ち移したとされる。同地のジンギスカンの人気店「あんべ」の創業者が、中国東北部・旧満州で従軍中に、同地の羊肉食文化に親しみ、帰国後に精肉店兼食堂を開業、自ら羊肉を取り寄せて、賄いとして食べていた。これが後に地元の名物料理になった。他にも、本場中国では水餃子が主流の餃子だが、日本では焼餃子を好んで食べるのも、旧満州の食べ残しの餃子を焼いて温め直して食べる習慣が引き揚げ者と共に伝えられたといわれている。 (写真:北九州小倉のラーメン) 戦後の高度経済成長期にも、工業化に伴い、大規模な集団移住が起きている。八幡製鉄(現・日本製鉄)の千葉県君津市への進出だ。明治時代の1901年に創業した設備を増強すべく、当時は海苔が主要産業だった君津に、臨海の大規模製鉄所を建造することになった。当時の君津は漁村。国の威信を背負った最新鋭の製鉄所を担う人材の多くは、北九州にある既存の製鉄所で働く技術者、工員たちから選ばれ、派遣された。60年代を中心に、2万人以上の人々が八幡から君津に移り住み「民族大移動」とさえ呼ばれた。 (写真:北九州を彷彿とさせる君津の九州ラーメン) そんな「民族大移動」にはもちろん、食文化の遷移が伴った。その代表が九州の豚骨ラーメンだ。君津の製鉄所は臨海部にあり、そこで働く人々は少し内陸の大和田地区や八重原地区、あるいは木更津市の清見台の団地に多く暮らしていた。北九州から君津に豚骨ラーメンを伝えた「九州ラーメン日吉」は、大和田や八重原の社宅団地のすぐそばに位置する。駅の近くでもなく、大通り沿いでもなく、住宅地の中のいわば「団地の食堂」だ。利用者の多くも近隣住民だろう。 (写真:「九州ラーメン日吉大和田店」) まずは大和田店から訪ねた。社宅やグラウンド、野球場など日本製鉄の施設が集まる高台から内房線の線路に向かって降りて行く途中の住宅地にぽつんとある店だ。暖簾には「元祖九州ラーメン」の文字が躍る。木造の、歴史を感じさせる店構えで、暖簾が出ていなければただの個人宅かと思うほどの佇まいだ。 (写真:「九州ラーメン日吉大和田店」のおでん鍋) 店を入ると、左側にはおでん鍋が置かれている。九州のラーメン屋でおでんは珍しくないが、東京のラーメン屋でおでんを見かけることはあまりない。しかも東京のおでんではあまりなじみがない牛すじが入っている。おでんは牛すじとギョウザ巻きが100円で、あとは卵や大根などの定番のおでん種はすべて80円と格安だ。牛すじとギョウザ巻き、厚揚げを頼んで、まずはビールで喉を潤す。 (写真:「九州ラーメン日吉大和田店」のチャーシューメン) 一息ついてラーメンのメニューに目をやる。ラーメンは4種類。ラーメン、紅生姜ラーメン、月見ラーメン、チャーシューメンで、それぞれ320円、370円、370円、670円という驚異的な価格設定だ。しかも、値上げしたというチャーシューメンは、おでんを3つ以上注文すれば、520円と150円も割引になる。おでんも3つ食べたことだし、ここはチャーシューメンをいただこう。 (写真:スープはさらっと塩豚骨) 関東で豚骨ラーメンというと豚骨ならではの濃厚さを強調するケースが多く、さらにはしょうゆで味付けされていることも多い。しかし、小倉や久留米では、トラック運転手などが好む濃厚スープに対し、さらっとした豚骨スープも多い。「九州ラーメン日吉大和田店」のスープはさらっと塩味でくどさがない。豚骨のうまみをあっさりと引き出している。細麺やトッピングのきくらげも九州風だ。 (写真:「九州ラーメン日吉八重原店」) 「九州ラーメン日吉八重原店」は、大和田地区からさらに内陸に入った、館山道君津インターに近い、日本製鉄の社宅や関連会社の社宅などが集まる、やはり住宅街の中にあった。こちらもやはり、通りすがりの人目当てというよりは、地元の人向けの「団地の食堂」だ。 (写真:「九州ラーメン日吉八重原店」のおでん) 店は改装されたのか、とてもこぎれいだ。壁のメニューはラーメンと飲み物だけだったが、カウンターの向こうにおでん鍋があった。やはり牛すじがある。こちらでは、牛すじと餅巾着をいただいた。 (写真:「九州ラーメン日吉八重原店」のチャーシューメン) ラーメンの構成は大和田店同様4種類。ラーメン400円、チャーシューメン580円、月見ラーメンと紅ショウガラーメンはともに450円だった。微妙に値段が違うものの、驚きの安さは変わらない。安いので、ついつい最高値のチャーシューメンを頼んでしまう。やはりすっきりとした塩豚骨の細麺だった。 (写真:八重原の「肉まん点心」には高菜まんがあった) 八重原店の周囲には個人経営らしき飲食店が多く、かつては同地区のスナックで小倉風のソース味の焼きうどんも提供されていたという。しかし現在は閉店し、住所で訪ねるとすでに駐車場になっていた。周囲の飲食店も、日曜日だったせいもあるがシャッターの閉まっている店が多く「空き店舗」の札がかかっている店も多かった。 (写真:木更津の「三代目沖食堂」) ちなみに、日本製鉄君津製鉄所の敷地面積は、東京ドーム約220個分と巨大だ。先にも述べたとおり、隣の木更津市から通勤する人も多い。木更津が、君津を含むエリアの中心都市ということもあり、木更津にも北九州の残り香が感じられる。木更津では、久留米ラーメンの老舗「沖食堂」の名前を冠した「三代目沖食堂」が2022年から営業している。 (写真:「三代目沖食堂」のラーメンとピースおにぎり) 集団移住から約60年を経てさすがに目に見える北九州の残像は少なくなっているようだが、よく目を凝らしてまちを歩けば、ところどころに「北九州の残像らしきもの」が透けて見えるように感じた。木更津の人が久留米の味を受け入れたのも、「九州ラーメン日吉」がいまだに愛され続けているのも、ここに移り住んだ多くの九州人たちのDNAが故なのかもしれない。