食の絶滅危惧種 那須烏山のコロッケ、ふかしやきそば (トップ写真) 大都市への人口集中、地方都市の人口減少は各地で深刻さを増している。それは関東地方でも例外ではない。北関東、栃木県の那須烏山市も人口が大きく減り、長年地元で愛され続けてきたご当地グルメが絶滅の危機にさらされている。今回は、そんな那須烏山のご当地グルメ、コロッケとふかしやきそばの現状を探った。 (写真:那須烏山の観光名所・龍門の滝) 栃木県の那須烏山市は、鎌倉時代に始まり、国選択の無形文化財にもなっている程村紙(烏山和紙)の産地として、栄えたまちだ。江戸時代の中頃には越前奉書、美濃なおし、関東の西ノ内などともに最良の紙として広く知られ、現在でも卒業証書の紙として重宝されている。しかし、西洋紙の生産拡大に加え、昭和40年代以降は、塩化ビニール製品の普及で、和紙生産が激減。昭和30年には4万2445人を数えた人口も、令和2年には2万4879人とほぼ半減している。和紙を使った幅7メートル、高さ10メートル以上、奥行き100メートルにもおよぶ舞台セットを使った山あげ祭の大規模さを見れば、那須烏山がいかに栄えた町だったかをうかがい知ることができる。 (写真:閉店した「さかいや」のコロッケ) そんな、絶滅が危惧される那須烏山のご当地グルメがコロッケだ。静岡県の三島や茨城県の龍ヶ崎など多くの地域に、その地域ならではのコロッケがあるが、那須烏山のコロッケは、そうしたご当地コロッケの中でも知られた存在ではない。しかし、各地のご当地コロッケの中でも特に、那須烏山のコロッケには、他のまちにはない、那須烏山ならではの特徴がある。カレー味だ。 (写真:山あげ祭の大規模さは山あげ会館で体験できる) カレーコロッケも決して珍しい存在ではないではないかという声もあろう。しかし、那須烏山では、コロッケは問答無用でカレー味なのだ。カレーコロッケではない。コロッケといえば、もれなくカレー味になっている。店頭での表記もシンプルにコロッケのみ。なのに必ずカレー味なのだ。 (写真:繁盛する「石原食肉店」) 諸説あるが、和紙はもちろん、多くの支流が那珂川に合流する地形から交通の要衝として栄えた那須烏山で、ハイカラなもの象徴としてカレー粉を入れた、というのが地元での定説になっている。カレー味のコロッケを手掛ける精肉店の人の話を聞いても、そもそもカレー味として、コロッケのレシピを学んだという。コロッケが那須烏山に伝わった際にすでに、「コロッケはカレー味」として根付いたようだ。 (写真:「石原食肉店」のコロッケ) かつては、JR烏山線烏山駅の周辺に広がる市街地にいくつもの精肉店があり、揚げたてのコロッケを販売していたが、人口減少とともにカレー味のコロッケを扱う店も減少、今では2軒を残すのみとなっている。そのうちの一つが、烏山のメインストリートの北の端に位置する「石原食肉店」だ。 (写真:ほんのりカレー色) 精肉はもちろんだが、とにかく肉総菜のバラエティーが豊富だ。そのせいか、人口減少が懸念される那須烏山の商店街の中でも、驚くほどの繁盛ぶりを誇る。「石原食肉店」さえあれば、那須烏山のコロッケは絶滅を免れると確信するほど、開店と同時に多くの買い物客が訪れる。 (写真:商品名に「カレー」は付かない) 「石原食肉店」は、那須烏山のコロッケの象徴と言っていい店だろう。店頭のガラスケースには「コロッケ」のみの表示。コロッケをくださいと注文すると「カレー味です」と一言添えて手渡される。二つに割れば、中のジャガイモはほんのりカレー色。実にライトな味わいのコロッケだ。 (写真:「船橋精肉店」) 市街地にある那須烏山ならではのカレー味のコロッケを扱う店は「石原食肉店」を残してその歴史に幕を閉じたが、市街地とは那珂川を挟んで対岸の県道27号線沿いに、細々とコロッケを扱う店が残っている。「船橋精肉店」だ。県道27号線は、那須烏山と那珂川町を結ぶ幹線で、かつては相当の交通量があったという。 (写真:「船橋精肉店」のコロッケ) お店の方の話では、かつては通勤の車がひっきりなしに店の前を通り、店頭にずらり揚げたてのコロッケを並べて繁盛したとのことだ。しかし、今では交通量も減り、訪店した際もショーケースは空っぽ、コロッケを求めると「これからフライヤーに油を入れるのでしばらく待ってください」とのことだった。 (写真:色も味もより濃厚) 肉厚で「石原食肉店」のコロッケよりもよりカレー粉の量が多いのだろう、色も味もより濃厚なカレー味を楽しめた。ある意味、より那須烏山らしさを味わえるコロッケだった。しかし、周囲に商店はなく、中心街でさえシャッターを下ろす店が多い中で、お店の方々のご高齢ぶりも考えると、今後はちょっと心配になってきた。 (写真:まさに「ゴムそば」) コロッケとともに今後が心配されるのが、那須烏山ならではのふかしやきそばだ。「ふかし」とは蒸すこと、つまり蒸し麺を使ったやきそばだ。静岡県の富士宮や宮城県の石巻など、蒸し麺を使ったやきそばは各地にある。冷蔵庫が普及していなかった時代の名残だ。生麺は冷蔵しないとすぐに傷んでしまうが、蒸して保存すれば、冷蔵せずに長期保存が可能になる。しかも、ふかしやきそばは乾麺の二度蒸しだ。蒸す過程を二度繰り返せばそれだけ保存性が高まるが、一方で、過度の加熱で麺が焼けたように茶色くなり、独特の強いコシを生む。その色と食感から、那須烏山では「ゴムそば」と呼ばれているそうだ。 (写真:やきそば専門店「かまぎん」) 那須烏山の人はやきそば好きで、昭和50年代はやきそば専門店が7店あったという。しかし、現在ではその営業が確認できるのは「かまぎん」のみだった。ぎりぎり中心街、店の先は山というロケーションで営業する。その外観はレトロで、シンプルなメニューと相まって、いかにも「昭和のやきそば屋」の風情だ。 (写真:「かまぎん」のスペシャル) 具は、卵と肉、イカのみで、そのすべてが入ったスペシャルを食べてみた。箸ではなく、フォークで食べるのが「かまぎん」の作法だ。ソースは薄味で、ゴムのような歯ごたえが美味しい。驚かされたのが、具の一つ、イカだ。真っ赤な、珍味「よっちゃんいか」のようなイカなのだ。 (写真:真っ赤な煮イカ) 実はこの真っ赤なイカは、海から遠い山間部ならではのイカの食べ方だ。実際に「よっちゃんいか」のふるさとは、海なし県・山梨の中央市で、那須烏山から海に向かって県境を越えた茨城県笠間稲荷の参道の屋台のイカも真っ赤な煮イカだ。海から遠いため、生ではなく、まず煮て保存性を高めたから運んだ頃の名残だ。 (写真:閉店した「さかいや」のふかしやきそば) 「かまぎん」のイカに、海なし県・栃木の象徴のような真っ赤なイカを見たように、絶滅が危惧される那須烏山の食には、その地域性がよく映されている。このまま絶滅してしまうのはしのびない。店頭こそ、人はまばらだったが「かまぎん」にはひっきりなしに出前の注文が入っていた。コロッケの2店も併せて、ぜひ那須烏山ならではの味に、末永く生き残ってほしいと願っている。