山のご馳走 秩父のくるみそば (トップ写真) 埼玉県の西部に位置する秩父地方は、山に囲まれた盆地が市街地となっており、市域の約9割が森林という山がちな地域だ。小石が多く、痩せた土地であるため、古くからそばの栽培が盛んだった。盆地、山地であることから、1日の寒暖差や夏期と冬期の気温差が大きいという自然環境だ。暮らすには厳しい気候だが、そばの栽培には適している。埼玉県と東京都の堺を流れる荒川上流部の澄んだ源流を利用して栽培された秩父のそばは、コシが強く、風味豊かな、美味しいそばとなる。 (写真:くるみ汁はくるみを挽いてそばつゆで割ったもの) そんな秩父のそばの食べ方として知られているのが、くるみそばだ。くるみの実をすりつぶしてそばつゆと合わせ、そこにそばを浸して食べる。くるみは、油分が約7割と油が非常に豊富なのが特徴だ。海から遠く、動物性の脂に乏しかった山がちな地域では、油をたっぷりと含んだくるみはご馳走だった。山だからこそ採れる貴重な油分は、ハレの日に食べるものだった。 (写真:秩父はそばどころ) 今では、家庭でそばを打つことも珍しくなったが、観光地である秩父の名物として、市内のあちこちにくるみそばを提供する飲食店が点在する。実際に秩父を訪れ、くるみそばの人気店を探して歩いた。 (写真:老舗の「やなぎや」) まずは1957年創業の老舗、手打そば専門の「やなぎや」から。同店の「鬼くるみ汁そば」は、日本在来種であるオニグルミとヒメグルミのみを使ったつゆが特徴だ。追加で、くるみの入っていないそばつゆも注文して食べ比べてみた。 (写真:「やなぎや」の繊細なそば) まずはそばに目を向けよう。太さはかなり細い。しかし、殻を取らずに挽いているようで、やや黒めの色をしている。食べてみると、その細さからは想像できないほどのコシがある。くるみ汁に口をつける前に、まず、そばそのものの美味しさに驚かされた。さすがはそばのまちで長年営業してきた老舗だ。 (写真:「やなぎや」のくるみ汁) くるみは油分が多いと紹介したが、「やなぎや」のくるみ汁は非常にあっさりとしている。油分をあまり感じないほどだ。くるみの挽き方も徹底しているのか、くるみの粒感がまるでない。非常にさらさらのくるみ汁だ。一方で、色は今回訪れた3店の中で最も濃かった。それが、細くて繊細な味のそばによくマッチしている。そばつゆもあっさりめで、そば湯を使わなくても飲めそうなほど繊細な味わいだった。 (写真:そば湯で割ると繊細さが際立つ) くるみ汁、そばつゆともそば湯で割ると、さらに繊細さが際立つ。山がち秩父の成り立ちで考えると、しっかりとした田舎そばを、こってりとしたくるみ汁に浸して食べるものと事前に思い込んでいただけに、その繊細さには正直なところ驚かされた。 (写真:「入船」は行列店) 次に訪れたのは、行列店の「入船」。早めに秩父入りしていたため、11時半の開店前から店頭に置かれていたノートに開店1時間以上前に名前を書くことができた。昼時にはかなりの行列になるので、「入船」を訪れる際は、早めの到着が望ましいだろう。 (写真:「入船」の山ぐるみそば) そばは、「やなぎや」とは対照的に太さも色もしっかりとしている。味もパンチが効いている。がつんと美味いのだ。この後訪れる「そばの杜」もそうだが、やはり店が多く、競争が激しいのか、そばそのものが、いずれの店もとても美味しかったのが印象的だった。 (写真:くるみ汁、そばつゆともに、パンチが強い味) くるみ汁、そばつゆともに、やはりパンチが強い味だった。くるみ汁はあえてさらさらにはせず、くるみを挽いた粒感を残している。そばを浸して頬張ると、麺につぶつぶが絡みついてくる。油分をしっかり感じさせる味わいだった。そばつゆもだしの味がはっきりと舌に伝わってくる。そばもつゆもパンチの強い味だった。 (写真:秩父ふるさと館内にある「そばの杜」) もう1店、西武秩父駅、秩父鉄道御花畑駅にも近い市街地の真ん中に位置する「そばの杜」も訪ねた。ここを選んだ理由は、くるみ挽きを自らするスタイルに興味があったからだ。注文をすると、小さなすり鉢にくるみが盛られて運ばれてきた。すりこぎを使って、このくるみをすりつぶしていく。 (写真:くるみを自ら挽くスタイル) 前2店同様、普通のそばつゆも合わせて注文したが、そもそもくるみ汁はくるみを挽いてそこにそばつゆを入れるので、空のそば猪口を合わせて持ってきてくれた。すりこぎを使って、くるみを挽いていく。油分7割と言うが、実際に自分で挽いてみると、そんなに油感はない。胡麻の方が油っぽい感触だ。 (写真:挽いたくるみにそばつゆを注ぐ) くるみをじゅうぶんに挽いたら、そこにそばつゆを注ぐ。クルミ汁がどうやって調理されているのかを知るには、非常にいい演出だ。最初「やなぎや」で食べ比べたときには、くるみ汁の水分がそばつゆだとは気付いていなかったからだ。そう考えると、くるみの味の強さを改めて思い知った。 (写真:「そばの杜」のくるみそば) そばは3店の中では最も白かったが、更科ではないようだ。しっかりとそばの風味が味わえる。手打ちらしく繊細な食感だ。とはいえ、パンチの強い、もっともくるみ感を感じるくるみ汁に浸しても負けることがない。そば自体の美味しさがしっかり味わえるのだ。 (写真:くるみの粒感も味わう) くるみそばを提供する店はまだまだある。3店だけでも、それぞれ個性があり、どれも抜群に美味しかった。秩父に通い、多くの店のくるみそばを食べ比べるのも面白そうだ。とにかくは、まず一度、秩父を訪れてくるみそばを味わってみてほしい。