足袋の町のご当地グルメ「行田ゼリーフライ」

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甘いセリーに衣をつけて揚げちゃうの!?字面だけでは、そう思われてしまいそうな、埼玉県行田市のご当地グルメ、行田ゼリーフライ。実は甘くはなく、ビールの供にぴったりな、大人の味だ。

工場労働者の空腹を満たす

行田には現在も古い足袋工場が残る
行田には現在も古い足袋工場が残る

2017年、行田市が申請していた「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」のストーリーが、埼玉県内初の日本遺産に認定された。行田は木綿の産地。近くに中山道が通っていたこともあり、自然と旅行や作業用の足袋づくりが盛んになった。明治時代に入るとミシンが導入され、足袋の生産量は一気に増大。ミシンの動力化が進むと、行田は日本一の足袋生産で知られるようになる。

足袋を模ったゼリーフライも
足袋を模ったゼリーフライも

明治時代の繊維産業に欠かせないのが「女工さん」。手先の作業を得意とする女性たちが行田に多く集まり、足袋工場で働くようになると、そうした若い女性たちの食欲を満たす食文化が行田にも誕生する。その代表がゼリーフライだ。

中はおからとジャガイモ

ゼリーフライの「たね」どことなく「卯の花」感が漂う
ゼリーフライの「たね」   どことなく「卯の花」感が漂う

行田は、歴史小説「のぼうの城」に描かれた町。市の中心部にある忍城(おしじょう)は、石田三成によって水攻めされる。それだけ水が豊かだったということだ。いい水のある町に欠かせない食文化が豆腐だ。行田も豆腐づくりが盛ん。ゼリーフライの特徴的な原料が、その豆腐を作る際の副産物である、おからだ。

手に持って食べるスタイルはかつての名残り?
手に持って食べるスタイルはかつての名残り?

行田ゼリーフライの正体は、北関東一帯で多く食べられているジャガイモに、おからを混ぜ合わせ、小判型に整えて油で揚げたもの。廃棄されるおからを使い、油で揚げることで、若い女性でも手軽に食べられる、安くて栄養満点の副食となった。

小判型が「ゼリー」の由来

衣はつけずに素揚げする
衣はつけずに素揚げする

フライと名がつくが、衣はつかない。素揚げだ。揚げたてをソースにドボンと沈めると、油で飛んだ水分を取り戻そうと、表面にソースが「じゅっ」と染み込む。

揚げたてをソースに「じゅっ」と浸す
揚げたてをソースに「じゅっ」と浸す

「一福茶屋」の店主、大澤輝夫さんの亡父、日露戦争に従軍した常八さんが、中国東北地方にあった野菜まんじゅうを基にアレンジしたのがそのルーツと言われている。

基本は小判(銭)型
基本は小判(銭)型

ゼリーの名の由来は、その形にある。小判(銭=ゼニ)にそっくりだったことから「ゼニーフライ」と呼ばれ、いつの間にか「ゼリーフライ」になったそうだ。

コナモン好きの一面も

鍋ぶたで薄くのばす行田のフライ
鍋ぶたで薄くのばす行田のフライ

女工さんたちに愛された行田ならではの食には、他にフライもある。こちらはフライと名がつくが、油では揚げない。鍋ぶたで鉄板に押しつけながら薄く焼く、クレープ状のお好み焼きだ。

関東でも高崎線沿線は「うどんそば」の看板
関東でも高崎線沿線は「うどんそば」の看板

行田市が位置する埼玉県北から群馬、西東京にかけては、米の裏作として小麦が栽培されている。このため、小麦粉が豊富で、フライの他、うどんややきそばなど「コナモン」が好んで食べられている。関東の駅そばの多くが「そばうどん」の看板を掲げるが、行田を走るJR高崎線沿線では「うどんそば」の看板を掲げる店が多い。行く機会があったら、ぜひ確認してみてほしい。

行田ゼリーフライ研究会

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